人の見た目が全て同じになったら、何をきっかけに恋が始まるのだろう。ルッキズムという言葉があるくらい、見た目が重視されている傾向にある。見た目が8割などというキャッチコピーやタイトルの本やドラマなども世の中に存在しているくらいだ。恋愛だけに限らず、どんな人とお付き合いをするのかについて、見た目で選んでしまっている場面はないだろうか。
現代ではぱっちり二重の目がちやほやされているが、それこそ平安時代は目が細い人がちやほやされていた。歴史的な背景もあるが、現代は飽食の時代で食べるものにはまず困らない。いくらでも食べる物があるので肥えやすい。そうなると細い人の方が希少価値が高いので、本能的に優秀な遺伝子だと判断するのであろう。逆に平安時代だと貴族でない限り、食べる物が少ないのでふくよかな人がちやほやされやすい。これも少ない食事でも、「ふくよかな体型を維持できている」という点で優秀な遺伝子だと判断されていたのだろう。
今の世の中において、本当にその人のことが好きでお付き合いしている人はどれくらい存在しているのだろうか。学生時代は、周りが付き合っているからなんとなくでお付き合いをしている、という人もいたような覚えがある。社会人になると如実に条件面をみて恋愛をしている人が増えていないだろうか。マッチングアプリなどで収入検索できるようなサービスも存在しているくらいだ。
条件面で始まった恋は、その条件が満たされなくなった時に別れが訪れる。社会人になると結婚がリアルに迫ってくるので、収入面やスペックなどで判断してしまいたくなる気持ちも分かる。今や結婚した夫婦のうち、約3組に1組は離婚をしているという。条件が好きなのか、本当にその人が好きなのかは一旦置いておいて、好きで結婚したはずなのに、些細なボタンの掛け違いが積み重なり、後々取り返しのつかないすれ違いへと繋がっていく。
アミ小さな宇宙人では、恋愛はご褒美のようなものだと説明がされていた。本来、恋愛はその人の人生の目標などを達成出来た時に初めて得られるものなのかもしれない。今、浮気やら不倫やら恋愛市場が混沌としてしまっているのは、本当の愛を見いだせていない人が多いからではないだろうか。アミは、究極の愛はツインレイであり、その存在は何にも勝るものはないと言っていた。皆ツインレイと出会いたくて運命の人を探しているのだろうが、前にブログに書いた通り、宇宙での意識レベルが2万以上にならない限りはツインレイと出会うことができない。皆本当の愛がわからないので、恋愛もわけが分からなくなってしまっているのである。
人の見た目が全員同じものになってしまったとしても、その人の瞳からは内面や過去世のこれまでの記憶などが反映された輝きを持っているはずである。「目は口ほどにものを言う」ということわざもある通り、きっと見た目が全て同じになったら瞳で恋が芽生えるのかもしれない。
それから、今日新たに分かったことだが、その人が持つ意識レベルと近い・もしくは自分よりも高い人に人は惹かれる傾向にある。見た目が同じだったとしたら、それこそ内面の意識レベルはかなり影響しそうだ。
結論、本物の愛を探すためには、「内側の自分といかに繋がれるか」にかかっている。その人が物質的に満たされていないのであれば物質的に満たしてくれる人を条件で選んでしまうのだろうし、その人自身が1人で満ちている状態で始められる恋愛であれば、それはなんだか完全な恋愛と言ってしまっても過言ではないだろう。高確率で意識レベルが上がることに加えて、自分と向き合えるので、アーティストウェイのワークにぜひ取り組んでもらいたいものである。
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