地球に生まれるときに、宇宙の記憶も過去生の記憶も全て忘れてから生まれてくる。まぁ宇宙で立てた計画とか、全て覚えていたらつまらないからね。この地球で起こることは、言葉通り「人生をかけた」壮大なゲームである。人生は長く感じるが、宇宙から見るととてつもなく短い期間らしい。信じられないけどね。そして、そんな風にゲーム性が高いのはゲーム好きなわたしたちの魂の創造主が原因である。その創造主についてはまた別の機会に触れていこうじゃないか。
宇宙と過去世の記憶は忘れてはしまうのだけど、思い出せるようなきっかけというものは存在している。わたしは過去世において武士として城主をしていた時代がある。その城はわたしの地元にあり(いまではもう城跡となってしまっていてただの平地となっている)、その城跡の周りの景色が大好きで懐かしくて、昔からよくその周辺へ用もなく散歩しに行って写真を撮っていた。
なぜその場所の景色が好きなのかはわからなかったが、最近になってキネシオロジーテストをしてみてわたしはその城の城主として生きていた時代があったと分かったのだ。そして、わたしはよく城主として生きていた時代の夢を見ることがある。夢の中ではその土地に神殿のような立派な建物が立っていて、そこで祈りを捧げたり広くて大きな建物の中を移動したりしている。夢から覚めた後も懐かしさで胸がいっぱいになる。過去世を思い出すきっかけの1つとなった夢である。
わたしは前世を思い出すための目印のようなものをわたしは設定して生まれてきた。そして、しっかりとその目印にたどり着くことができて、前世の記憶をほんの少しだけ、思い出している。前世の自分の名前も、もちろん知っている。
友人に、ジョージア・オキーフの伝記を進められて読んだことがある。そのジョージアの伝記を書いたアニタ・リリー・ポリッツァーこそわたしの前世である。伝記の著者名はアニタ・ポリッツァーとなっているのだが、妙に気になってネットで調べたときにリリーというミドルネームがあったことを知った。わたしの本名はゆりという名前であり、SNSのアカウント名にlilyと必ず入れるくらい、自分の名前を気に入っている。ユリの花は英語でlilyなのである。
アニタの本名がアニタ・リリー・ポリッツアーと知ったときにブワッと思い出した映像がいくつかあった。オキーフと一緒に高層マンションのような高い建物の中のリビングのような一室で話している場面。床には深い赤色(ボルドーよりもう少し明るいくらいの落ち着いた赤色)と白色で配色されたカーペットが敷いてあり、背よりも高いクリスマスツリーのような観葉植物が置いてあった。そんな映像を思い出した後にジョージアの伝記を読んだのだが、驚いた。伝記の中にきちんとジョージアは高層ビル(ホテルだったかな?)に住んでいて、赤いラグが敷いてあって…と描写されているのである。思い出した映像と合致する内容がきちんと記載されているではないか。
映像として思い出した以外にも、アニタと共通している性質や性格が多々あり、伝記を読みながらひどく親近感と懐かしさを覚えた。「これが一番最適解だ!」と思ったらジョージアへの許諾なく勝手に行動を起こすような突拍子もないところとか、わたしらしいと感じてしまう(今世ではこの突拍子もない性格がなんでかネガティブな方向に働いてしまい、友人を困らせている)。これは、確実に前世のわたしだと、伝記を最後まで読んで確信をした。誰に何を言われようとも、アニタはわたしの前世である。そして、この伝記を読むように勧めてくれた友人こそ、ジョージア・オキーフの生まれ変わりである。
ここまで読んでいただいてお気づきだろうか。このブログのドメインはlitttle・poritzerというつづりにしてある。litttleというのはジョージア・オキーフがアニタにつけてくれたあだ名である。アニタは背が低く、小さいことを表現するためにジョージアはtを3つ使うことで小ささを表現してくれたのだと思う。このリトル・ポリッツアーという名前がお気に入りだったので、このブログのドメイン名にしたのである。
前世ではジョージアは芸術の分野における女性の地位向上を、アニタは政治の面から女性の地位向上を目的に人生を全うした。そして今世では、おそらく地球に生きる人類の意識レベルの向上と宇宙との繋がりを思い出すということを目的に生まれてきたような気がしている。大げさだろうか。だが、人類の意識レベルの向上については、何もわたしは大勢の人へ影響力を与えたいというわけではない。自分が内なる自分としっかり繋がることで、わたしはわたし自身の意識レベルを上げることができ、自身の人生に向き合うことが結果、地球全体への貢献に繋がると知っている。意識というのは超意識として全て繋がっているのである。1人ができる範囲が限られていると思わないほうがいい。わたしたちは内へ行けば行くほど、繋がっているのである。
とはいえ、最近スピリチュアルの世界でよく聞く「あなたはわたし」という概念はわたしは好きではない。あなたはあなた、わたしはわたし、であるからこそ、あなたとわたしは異なる経験を積んで異なる感情を得ることができるのである。「あなた=わたし」の概念で生きてしまったら、それこそわたしたちは大きな魂の源から分けられて生まれてきた意味がなくなると思っている。
あなたがあなたとして生きていくことで、きっと記憶の目印に辿り着くことができる。目印に辿り着いたら、これまで繰り返し生まれてきた自身を思い出し、きっと自信に変わるはずだ。自分の感情に向き合って、目の前のことに集中していこう。自分の感情に向き合うには、散々書いてきたThe Artist’s Wayのワークがおすすめだよ。
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