行動の起点(2)

宇宙船地球号の日々

 さて、前の記事の通りわたしと愛子はこのキネシオロジーテストが本当に真実の回答を出すものなのか実験を行うことにした。そして、この実験から「不安を起点として聞いた質問は、全て誤りの回答を得る」ということに気付いたのである。何度も言うが、これは世紀の大発見と表現しても過言ではない。

 愛子の心が波立っていて不安定な状態でキネシオロジーテストをしてみたところ、自身がわかっているはずの回答でさえも反対の答えが出たのである。具体的には、愛子が「わたしは男である」とテストをするとYESと回答が出て、「わたしは女である」と質問するとNOというテスト結果になった。現在愛子とわたしは都内在住なのだが、愛子が「わたしは北海道に住んでいる」とテストするとこれもまたYESと出るのである!これにはわたしも驚いた。わたしでも知っている愛子の情報についてでも、真反対の結果が出るのである。

 思えば確かに、これまでの人生を振り返ると、不安な気持ちから衝動的に行動を起こして失敗したという経験がわたしにはある。皆さんの中にも、「失敗した」とまで思わなくとも、無駄な時間を過ごしたと思ったことはないだろうか。わたしは、学生の頃に将来に対しての漠然とした不安から、様々なセミナー等に参加し、中には危なかったものもいくつか参加してしまったこともある。不安の感情を起点として起こした行動で、今にも繋がっているご縁や経験は1つもないと言い切ることができるくらい、本当に無駄な時間を過ごした。交通費や参加費などを考えると、時間だけでなくお金や労力も無駄にしている。

 余談だがわたしの場合はそれなりに行動力があるので、思い立ったらすぐに動いてしまう。推進力があって良いという見方もできるものの、これによりわたしのパラレルセルフはわたしのお世話に手を焼いたと今でもボヤいている。パラレルセルフの理想とわたしの進みたい方向が噛み合えば非常に素晴らしい結果になるのであるが、不安を起点とした行動を取ってしまうことで理想とは真逆の結果を得ることになる。大体の場合が衝動的なので、元の正しい道に戻すのには骨が折れる作業であるようだ。

 話を戻すと、このキネシオロジーテストの実験を通じて、この世で生きるうえで、「どの感情を起点として動くのか」ということがどれだけ大切なことなのかということが分かったのである。不安を起点とした行動や思考の場合は誤った結果しか得られない。逆を言えば、ときめきや心動かされるようなポジティブな感情を起点とした行動や思考は、その人にとって適切な結果を得られるということである。

 世の中の大半は不安を駆り立てるようなマーケティング戦略で収益を上げている。美しくなければ愛されないのか?お金がないと幸せではないのか?ブランド物を持っている人が偉いのか?今やろうとしていることはどの感情を起点としたものであるのか、自身の感情をしっかり見つめることをわたしも引き続き意識したいと思えた出来事であった。

 ちなみに最近気付いたが、自分ときちんと繋がっている人は見た目が若々しく見える。(外からの意見に振り回されず、自分の感情に目を向けられている人をわたしは「自分と繋がっている人」と表現している。)いくら外を磨いたところで中身が伴っていないと、思っていた以上の輝きは得られないのだと思う。やりたくないことを理由をつけて続けていないか、他の人からの意見に不安になり始めようとしていないか、不安な気持ちで手放すべき関係にしがみついていないか、自分の胸に手を当てて、考えてみてほしい。

 「自分と繋がること=思考がクリアになること」であるのだが、如何せんこの世はノイズが多い。自分と繋がることでたくさんのメリットがあるのだが、これについてはまた別の記事に書いていこう。

 大事なことなので何度も言うが、「不安を起点とした行動や思考」は全てその人にとって誤った道を示す。まずはこのことを意識してみると、随分と選ぼうとしている選択肢が変わってくるのではないだろうか。

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