生澤愛子

生澤愛子との生活

人生は意識レベルでできている(7)

花屋でのバイトを辞めて2〜3ヶ月くらいでコロナが世界中を襲った。2020年の年明けであった。この時期に愛子は意識レベルが550に達していた。この頃愛子は、なぜか分からないが、四つ葉のクローバーの仕事がそろそろ何か起きそうだという予感がしてい...
生澤愛子との生活

人生は意識レベルでできている(6)

専門学校を卒業する時に、最初は就職せずに起業したりフリーランスで働こうかとも思っていたが、今すぐにやることではないかもと思い始めた。その頃に入っていた起業家を目指す人たちが集まるコミュニティで出会った友達が、とある会社の社長を紹介してくれた...
生澤愛子との生活

人生は意識レベルでできている(5)

結局、受験勉強を続けるものの思ったように成績が伸びなかった。模試の偏差値は志望校に受からなそうなのに、その大学の過去問を解くと、どこかしらには受かりそうな得点を取れていた。模試の点数は悪いのに、過去問は解けるので不思議だと思っていた。そして...
生澤愛子との生活

人生は意識レベルでできている(4)

愛子の話に戻そう。愛子は中学3年生の1月、意識レベルが410となる。400台、理性が発揮されるレベルである。第一志望に落ちて、第二志望の高校に行くこととなる。当時は中学時代に引っ越しをしたり自殺しそうになるくらい辛い思いをしたりして、メンタ...
生澤愛子との生活

人生は意識レベルでできている(3)

中学2年生10月、意識レベルが100台となる。あまり上がった感じもせず、テストで初めて30点台の点数を取ってしまったのである。これまでは努力すればそれなりに結果が出ていたのだが、これまでと変わらず真面目に勉強をしていたにもかかわらず、この点...
生澤愛子との生活

人生は意識レベルでできている(2)

そして愛子は中学生1年生の7月にとうとう意識レベルが100から12まで下がった。『パワーか、フォースか』でも記載されていない測定不可のレベルである。意識レベル20未満の中でも限りなく死に近い意識レベルだったのだろう。本書では、「長生きするた...
生澤愛子との生活

人生は意識レベルでできている(1)

わたしは最近毎日のようにブログを更新している。しかも有休を取ってまでブログに専念している。さらには、愛子がフルコミットで手伝ってくれており、休日は朝の9時から深夜0時くらいまで、平日は仕事が終わってから21時前後から深夜23時くらいまで、愛...
生澤愛子との生活

メディアへの進出

今回は、愛子がどのようにメディアへ出ていったのかについて遍歴を追っていきたい。愛子が高校3年生のときにTwitter経由で起業をしたい学生向けの起業家スーパーキャリアカンファレンスというイベントに参加をした。その当時、愛子はお小遣いはもらっ...
生澤愛子との生活

SOSを発信する(2)

そんな提案を受けて、素敵なお客様がたくさん訪れる素敵なレストランで個展を開けることになった。しかし蓋を開いてみると、その個展では愛子の作品を観に行くためにレストランに訪れた人は多かったものの、実際に購入にまで至る人は少なかった。実際にわたし...
生澤愛子との生活

SOSを発信する(1)

怒涛のブログ更新をしている最中、わたしは卵が食べられなくなってきた。もともと卵料理は大好きで、わたしは母親の作るカレーピラフのオムライスが一番の好物であった。7月あたりからどんどん肉や魚が食べられなくなっていったのだが、ついに卵まで難しくな...