死を乗り越えて(1)

宇宙船地球号の日々

 わたしたち人間には寿命がある。今日本は長寿大国とされており、平均寿命が著しく伸びている。寿命が伸びているからと言って、いわゆる健康寿命が伸びているかというとそれは少し異なると思っている。長生きできたとしても、ベッドで寝たきりという人もいらっしゃるだろう。やはり、好きなものを好きなだけ食べられて、好きなだけ身体を動かせて、たくさん眠れるという状態が続いたほうが良いなとわたしは思う。

 そもそも死とはなんだろうか。わたしたちは何度も何度も繰り返し、生まれては死ぬを繰り返している。これは地球上だけの話ではなく、宇宙に返ったとしても同じである。死んだら新しい肉体を得て、新しい人生をスタートさせる。これが繰り返されているのである。

 地球の輪廻転生は結構しぶといらしい。また別の機会に取り上げられたらと思うのだが、地球には出身の星が様々な魂が寄せ集められているカオスな星である。地球出身の魂もあれば、闇側出身、光側出身の宇宙人たちというのもこの地球上には存在している。地球における輪廻転生の環にはまってしまうと、なかなか抜け出すことが難しいそうだ。輪廻転生の環を抜け出すためには様々な条件などがあるらしい。わたしは仏教は詳しくないので、輪廻転生についてのルールについてはそこまで詳しくない。詳しくはないが、輪廻転生を外れることを解脱というらしい。解脱をするための修行をするのが仏教ということなのだろうか。

 そして死は苦しいものという印象がないだろうか。なぜだろう。余談だが、わたしの祖父が2年ほど前に亡くなったのだが、祖父は持病や病気などもなく本当に急に亡くなったのである。ポックリ逝ってしまったという言葉があるが、まさにそんな状態。誕生日直前に亡くなったのだが、86歳で亡くなった。充分に長生きをしていた。

 祖父は寡黙ではあったが、足腰も強くて、80歳になっても庭で畑仕事をしていた。犬の散歩にも毎日行き、毎晩熱燗の日本酒を飲むような体力・気力に溢れる祖父であった。ある日祖父が急に熱を出した。翌朝、そのまま動けなくなってしまって救急車に乗って病院まで行ったのだが、そのまま病院で亡くなったのである。わたしは祖父が大好きだったので、当時は非常に悲しく会社も何日かお休みさせていただいたのだが、今思えば、長く病院に入院などすることもなく、苦しまずにすぐに亡くなったというのはおじいちゃんにとって幸運なことだったのかもしれない。(残された方は辛いものがあるが…祖母はこれでげっそりと痩せてしまった。祖父母はわたしにとって理想的な夫婦像であった。)

 本来、人間が死ぬときというのは、植物が枯れるように死んでいくのが自然な状態であると言っていた人がいた。徐々に食べ物が食べられなくなっていき、水なども飲めなくなっていき、枯れるように、しおれるように亡くなるのが自然な状態らしい。病院では延命治療などをしてなんとか生き延びさせようと様々な薬品を身体に投入していくが、死に抗えば抗うほどに死ぬ時が怖く苦しいものとなってしまうような気がしている。死ぬ直前の人の脳波を測定すると、死ぬ瞬間に幸福感を感じられるホルモンが大量に分泌されるらしい。苦しまずに死んでいけるようにするための、本能的な反射のようなものなのだろうか。

 死とは、次なるステージへ進むためのステップアップとしての通る道の1つというだけであるので、死はそこまで不安に思ったり必要以上に恐怖を感じることはないものだと思っている。アミ小さな宇宙人でも死についての記述があったが、魂は次のステージへ進むにあたって新たな器を手に入れる必要がある。そのために死というものが存在しているのだが、アミはそこまで辛いものではないと言っていた。

 仏教などで悟りの境地まで到達したお坊さんなどは、自身の死期を感じ取り、身体ごと消えてしまうという術(?)ができる人も存在しているという。猫もそのような話を聞いたことがある。死ぬ姿を見せないために、死期を悟ったらいなくなってしまうのだという。人によっても動物によっても、死に対するイメージや捉え方、向き合い方が異なっているのかもしれない。

 長くなりそうなので、続きは次回のブログへと引き継ぐこととしよう。

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