なんだか修行をしているような気持ちである。なぜこんなに、家に缶詰状態になってひたすらブログを書いているんだろうかとふと考えてしまう。でも、これも計画を立ててきたことだと確信している。ブログを書かないでいるとパラレルセルフから念のようなものを送られてくるのである。強迫観念なのだろうかと思うこともあるのだが、どう考えてもやっぱりわたしはこのようにいろんなことを文章にしていくことが今できるやるべきことのような気がしてならない。
この3ヶ月くらいで食べるものが丸っきり変わってしまった。前にアーティストウェイについてのブログでも書いたことだが、肉が食べられなくなった。どうしても会社の人との飲み会などでは肉料理が出てくることもあるだが、食べたいという気持ちにならないのである。最近も一口だけ試してみたが全然食べられなかった。臭みを強く感じてしまう。
人の身体を構成しているタンパク質を取らなくて体調は大丈夫なのかと大学時代の友人はよく心配してくれるが、肉や魚などを食べないほうがむしろ身体の調子が良くなっているように感じる。見た目も若く見えるようになったと言われることもある。しらすはまだ大丈夫だと思っていたが、そういえば最近買おうとも思わず、ここしばらく食べていないことに気がついた。どんどん食べられるものが少なくなってきている。
もしかしたら不食でも大丈夫な身体になっていくのかもしれない。どこの国か忘れてしまったのだが、海外で週に2~3回フルーツしか食べないご夫婦がいるらしい。その奥様はそのような食生活の中でも2人の男児を健康体で無事に出産し、お子さんも健康だという。フルーツ研究家の中野瑞樹さんという方もいらっしゃる。中野さんは2009年より食生活の9割超がフルーツのみで形成されているとのことだ。
だんだん、自分にとっての必要・不要な食べ物が感覚でわかるようになってくる。今わたしは肉や魚が必要なくなってきているのでベジタリアンみたいな生活をしているが、特段苦痛は感じていない。逆に、食べたい物を我慢して食べないようにするというのは身体にも心にも負担がかかるような印象がある。添加物をなるべく取らない生活をしているからか、最近は食べ物への感度が上がってきているような気がするのである。
弁護士の秋山佳胤(よしたね)さんは水も飲まなければ食事も取らないという生活を続けているそうだ。『奇跡の[地球共鳴波動7.8Hz]のすべて(※)』という本の中で、秋山さんの事例が取り上げられていた。2021年の書籍の中で、不水不食の生活が8年目という記載があったので、おそらく今頃は11年目に突入したのだろうか。弁護士さんなので講演会をすることもあるそうなのだが、水も飲まないのに汗をかくらしい。どういう原理なのだろう。
霞を食べて生きているという言葉を体現している人がこの世にいるということだろう。身体には7つのエネルギーサークルであるチャクラという場所から、空気中のエネルギーを取り込むことで食べなくても生きていけるとヨガの世界では言われることがある。チャクラを整えれば身体の調子も整うのだとか。
ちなみにチャクラの整え方というものはわたしも全然方法はわからない。わからないが、自分にとっての最適な食生活というものを整えるということは重要であると感じている。これまでのブログでも紹介してきているアーティストウェイのワークやメンタルモデルなどを通して自分のことを見つめた先に、食べるもの、飲むものも必要なのか不必要なのか判断できるようになってきていると感じている。
6月ごろから徐々に肉が食べられなくなり、スーパーに行っても肉のコーナーはもう見向きもしなくなった。魚も臭みが気になって全く買おうと思わない。肉と魚を3ヶ月弱ほぼ食べずに生活をしていて、身体が軽くなった気がしている。不思議だ。
アーティストの友人は肉も魚も卵も乳製品も、最近はケーキなどの甘いものまでいらなくなってきたという。比べてしまうのは良くないが、わたしの知るどの友人と比べても、ヴィーガンのような生活をしている彼女が一番肌が綺麗で髪もつやつやしている。やはり、食べることと栄養をとることというのはイコールではないような気がしている。これもいつか証明されるときが来るのだろうか。
(※)参考文献・出典
志賀一雅(2021年)、『[新装版]奇跡の[地球共鳴波動7.8Hz]のすべて』、ヒカルランド
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