わたしはジブリ作品が好きである。特に、千と千尋の神隠しは懐かしい気持ちになるから好き。綺麗な海の上を走る電車の場面は、なぜか見るたびに懐かしい気持ちになっていた。わたしは昔から水色が一番好きな色である。海の上の電車が映る場面では明るく澄んだ水色が画面いっぱいに映るので、わたしは千と千尋の神隠しの映画が好きなんだとずっと思っていた。
千と千尋の神隠しが放映されたとき、わたしは幼稚園生であった。千と千尋の神隠しが怖くてあまり好きではないという人が、周りにいなかっただろうか。たまに大人になっても好きになれないという人の声も聞くことがある。あんなに素敵な作品なのになぜだろうと思い、千と千尋の神隠しがあまり好きではないという周りの友人たちのことを思い浮かべてキネシオロジーテストをしてみたことがある。そして、共通項が見つかった。千と千尋の神隠しが好きではない人は、全員が宇宙で光側の出身であったのだ。
わたしは闇側の出身であるということはこれまでも何度も書いてきている。宮崎駿さんがどのような気持ちでこの映画をつくられたのかは勉強不足で存じ上げないところではあるのだが、わたしは、宇宙であの海の上の電車に乗ったことがあるのだ。宇宙にはあの世界が存在していた。そしてわたしは、宇宙であの湯屋のような場所で働いていたことがある。
千と千尋の神隠しのあの独特で不思議な世界は、限りなく光側へ近い闇側の世界であると思っている。光側へ転生するタイミングであの海の上の電車に乗ることができるのである。湯屋で修行をして、意識レベルが合格点に達すると湯屋を卒業し、光側の世界へ足を踏み入れることができるのだ。闇側は意識レベルマイナスからスタートして、意識レベルが0に達すると光側となり、あの電車に乗ることができる。移動して光側の領域へ行くことがようやくできるようになるのである。
とはいえ光側へ転生しても、ツインレイと出会えるには意識レベルが20000以上必要になるので、ここからがまた修行期間である。あくまでもスタート地点に立てた、というレベルなのだ。書きながら思うが、本当にとんでもないシステムだ。フナブ・ク、頼む…。もう少し優しい世界にしてくれ……。
ハウルの動く城も好きなのだが、こちらのほうがもう少し闇に近い世界観であると感じている。千と千尋の神隠しの世界がマイナス200くらいの世界だとしたら、ハウルの動く城はマイナス500くらいの世界といったところだろうか。時代背景などもあるだろうが、千と千尋の神隠しのほうが少しばかり軽やかな印象を覚えるのである。色彩の明度も、千と千尋の神隠しの方が高いような気がする。
このことをキネシオロジーテストをしながら思い出したとき、もう1つ思い出したことがある。闇側の世界で生きている生命体は、意識レベルが上がるごとに知覚できる色彩が増えていく。イメージしてほしいのだが、真っ暗の部屋の中では色彩を見出すことができない。徐々に徐々に光が差して明るくなっていくことで見える範囲や世界が増えていく。知覚できる色彩も、明るくなればなるほど繊細になっていく。闇側から光側の世界へ転生するというのは、このような感覚なのである。
マイナス1000からマイナス500くらいまでの意識レベルの世界になると、ものの輪郭ははっきりと捉えられるようになってはくるが、色はグレーのような白黒映画のようなそんな世界である。色の濃淡で世界を識別できるが、色はわからない。どんよりとした重い世界。色の明度でのみ物事を判断する。その世界にはまだ彩度は存在していない。
世界に色がつき始めたら、闇側はもう闇へ戻ろうとは思わない。世界はこんなにも美しいんだと気がつけるからである。世界がグレーの段階であれば、まだ闇側に戻ってしまうような生命体もいる。あと1歩のところまで来ているのに、もったいない…。世界が見えるようになったからと、なにか悪事に加担してしまったりスパイになってしまうなどしてしまうと、途端にまた見えない世界へと戻っていく。
意識レベルを上げることは時間がかかるのに、落とすことは簡単なのである。世界を知覚できるほど意識レベルを上げてきているのに、その段階で闇側に加担してしまってまた見えない世界へ戻っていってしまうことのコストの悪さをどうか闇側の生命体は理解してほしいものだ。
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