小学校5年生のころに源氏物語にはまった。今思えばませた小学生だったかもしれない。平安時代のあまりの煌びやかさに圧倒されたのである。その瞬間の気持ちに一番合う花を文に添えて、歌を通して関係性を育む男女の情緒あふれたやり取り、当時の人が感じ取る色彩の繊細さ、全てのことに愛おしさを見出す豊かさ。目の前の刹那を注意深く逃さないような生き方が素敵。もちろん小学生のころはもっと単純に「姫君たちかわいいー!」という感情だけで読んでいた。紫の上が一番好きだった。小学生のころの感性の方が今よりもっと素直な気持ちで物語と向き合っていたように思う。
源氏物語は紫式部が描いたとされているが、源氏物語の作者は本当は男なのではないかとわたしは疑っている。それはそれは美しく賢い1人の男が紆余曲折はありながらもたくさんの美女ととっかえひっかえ恋愛をして、政治でも上り詰めるという平安時代の大サクセスストーリー。そんな物語を女性が描いたということに違和感を持っている。わたしは別に学者でも研究者でも何でもないので、こういう捉え方もあるんだなと流しながら受け取ってもらえたら嬉しい。
源氏物語の帚木(ははきぎ)という章の中で、「雨夜の品定め」と呼ばれる場面がある。光源氏と友人たちの4人で、女性観や恋愛話を繰り広げるのだが、その場面なんてあまりにリアル。現代でも男性が4人で飲みに行ったら居酒屋でこんなこと話してそうという解像度の高さ。今やYouTubeなどでも恋愛について発信しているインフルエンサーがたくさんいるが、まさにそんな感じ。恋愛とは、結婚とは、女性とはということについて同性同士で好き勝手語っている。もしわたしが物語の中の雨夜の品定めの場にいたとしたら誰かしらぶん殴っているかもしれない。そんな理想を求めるなと思ってしまうくらい、結構身勝手に話しているのだ。もちろん女性だって同性で集まればそういう話になるんだけどね。1000年以上経っても人間の本質なんてあまり変わらないのだろうなぁ。
源氏物語は、きっと携帯小説くらいの感覚で描かれたものだったのではないだろうか。思いがけず人気となり、たくさんの人が手でコピーをたくさん作っていった。手書きで写すことも1つの娯楽だったのだろう。そのように考えたときにふと思う。あれ、これって光源氏の視点で描かれた物語だよな、と。物語を描くときは、もちろん著者の意識や意向が存分に注ぎ込まれていると思うのだが、光源氏の物語って、男性の目線に立った時に夢のような物語ではないか?女性も、お金も、仕事も、友情も、全て手に入れる物語なのである。
一夫多妻制とはいえ、光源氏は女性の敵だとわたしは思う。彼の情熱はすんごいんだから、本当に。すごいじゃなくて、すんごいんだ。1つ取り上げるとすると、光源氏が「一番好きだけど絶対に一緒になれない女性(人妻)」と似た女の子を見つけて、養子にして自分好みに育て上げて奥さんにしてしまうという大胆さ(この女の子がわたしが一番好きな紫の上である)。今の倫理観とかけ離れているから「えー!?」と思ってしまうけど、やっぱりわたしは、男性のロマンが詰まった物語を男性の作者が嬉々として描いている方が自然なことのように思う。
そんな風に思っていたら、やはり似たようなこと思っている人はいるものだね。「源氏物語 作者 男」とかで調べてみたらいろんな人が色んな角度から論じている。学校で習ってきた歴史は結構手が加えられているように思うよ。歴史がすり替えられるなんて、意外と簡単にできてしまうのではないかな。
もし源氏物語を読みたいのであれば、わたしは林望さんの謹訳源氏物語がおすすめ。源氏物語が新しい息吹を入れられて生まれ変わったような斬新さを覚えたような覚えがある。古典とは思えないような軽やかな読み心地だった。大分昔の話なのでうろ覚えで申し訳ない。林望さんの源氏物語は本が180度開くので文章だけでなく物理的にも読みやすかった。お手本のような現代語訳ならやっぱり瀬戸内寂聴さんかなぁ。原作と比べると脚色がかなり入っているが、エンタメとして楽しみたいのであれば漫画の「あさきゆめみし」一択である。ぜひ興味があれば一読してみてほしい。
そんなこんなで、わたしは源氏物語は男性作者が自分の夢を投影した恋愛シミュレーションとして描かれたという自論を展開したい。いつか全ての正しい歴史が明らかになる日がくるといいな。
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