過去世への追憶(1)

宇宙船地球号の日々

 今日は愛子がお出かけをしているので、夜まで1人で執筆をする予定である。このブログに付き合ってくれる愛子ももちろんすごいし、冷静になってみて考えるとそういえばわたしは会社員である。平日の夜2時間〜2時間半、休日は朝9時〜10時ごろから執筆を始めて夜の23時半まで。お金にしようとも思っていないブログにこんなに時間を費やしていてどう考えても頭がおかしい(ちなみに「おすすめの本」カテゴリーは申し訳程度にAmazonアフェリエイトのリンクURLは貼らせてもらっている)。

 土曜日、平日とは打って変わって人々が街中を生き生きと歩いている。今わたしは初めて来たカフェで、そんな人々の様子を眺めながら淡々とブログを書いている。1人なのに、たまたま窓際の2人席を案内してもらえたので2階から街を眺めているのである。わたしは昔から大きな窓のある部屋でないと息が詰まりそうでならない。地下のお店は少し苦手。夜ならいいけど、お昼くらいはやっぱり光が降り注ぐ場所にいたい。

 カフェの中はカップル、友人同士のグループなどで溢れているが、とりわけお隣に座っているご夫婦が仲が良くって素敵(1人でいるので勝手に会話が耳に入ってくるだけで、盗み聞きをしたいわけではない)。年齢や一緒にいる年数を重ねながらもこうやって休日に2人で出かけてカフェに入るなんて、仲が良くないと出来ないことじゃないだろうか。

 結婚。紙一枚で、他人同士が家族になる不思議なイベント。今でこそ、結婚の色んな形がある上に、そもそも結婚をしなくても生きていける時代である。「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです。」という、リクルート社のゼクシィの有名なキャッチコピーがわたしは好きだ。このコピーを考えた方は天才だと思う。”敢えて”貴方と結婚したいというのをこの短文で示唆していて関心してしまう。今は、結婚するしないも自身で選択ができ、多様性が広がっていて自由でいいなと思う。

 日本も昭和あたりまでだろうか、未婚の女性は肩身の狭い思いをしていた時代もある。わたしは過去世で18世紀のイギリスで女性として生きていたことがあるのだが、当時の女性は結婚して当たり前、むしろ結婚しないと生きていけないという時代であった。その時代の女性は資産を持つ資格がなかった上に、働いて稼ぐという概念がそもそもなかったので、いかにお金持ちの実家の出身である男性と結婚できるかに情熱を傾けていた時代(あれ、お金持ち男性の争奪戦は現代と変わってない…?)。おしとやかで、裁縫や家事などができる、いわゆる一歩引いて歩んでいける女性が好まれたというわけだ。

 そんな時代において、わたしは女性として生涯独身として生き貫いたのであった。名前をジェイン・オースティンという。その時のメンタルモデルはひとりぼっちモデルで、とんでもなくやんちゃな上に、はちゃめちゃに気が強かった。どちらかというと男性性の強いお転婆女。今世以上に誰の言うことも聞かなくて、家族や周りを困らせていたことを最近思い出した。過去世では群を抜いて一番に癖が強すぎる厄介なキャラクターであったように思う。

 家同士が結婚するという価値観が主流の当時の時代に、結婚には個人間の愛こそが大事であると信じて小説を通して新たな結婚像と女性像を発信をしていった。当時は女性作家がほとんどいなく、そもそも女性が小説を書くということもあまり良い顔がされなかった時代であった。女性の社会的地位も低いために女性として出版すると本が売れないので、ジェインは最初は匿名で小説を出していたのであった。

わたしは大学生のときに、このジェイン・オースティンについての卒論を書くことを決めた。大学生時代には前世があるとも宇宙があるとももちろん思っていなかったのだが、大学の講義で初めてジェイン・オースティンのことを知った時に、尋常じゃなくときめいたのを今でも覚えている。「この時代にこんなたくましい、素晴らしい女性がいたなんて…!」と感銘を受けたのである。

 大学3年生のころから卒論のテーマはこれにすると決めて、同じ文学部の友人にも他学部の友人たちにも、ジェイン・オースティンがいかに素晴らしい人かを説いて回っていた。ジェイン・オースティンの話をすると、皆口を揃えたように「ゆりみたいな人だね」と言ってくれていた。ゆり”みたい”じゃなくて、わたしの魂であったのだった。過去世のことを知らなかったとは言え、ギャグでしかない。(続く)

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