言葉という道具

宇宙船地球号の日々

 言葉にするって、思考を形にするような感覚がある。捉えどころがなく浮かんでいたものを、言葉にすることで物質化する感覚。手のひらサイズの結晶を生み出すような、もっと分かりやすくすると「だるまさんがころんだ」をするような、そんな感覚。見てない間はみんな好きなだけ好きなように動き回って、観測した瞬間にピタッと止まる。見てない間は言葉にできない感情が、言葉にした瞬間にピタッと浮いていたものが物質のように明確に感じられるような感覚なのである。

 そういえば、量子力学もこのだるまさんがころんだで説明がつくらしい。量子力学は、引き寄せの法則という人もいるし、思考を現実化させるにあたって使われる方法論のようなものである。この世界のすべてのものを小さく小さく分解していったときに原子とか陽子とか中性子とかまで分解したときの総称が量子である(合ってる?)。量子は観測されていない時には自由に泳ぎ回っていて、人が観察した瞬間に動かなくなるのだそうだ。この量子で出来ている世界において、流動的に流れているものを言語化して目標や理想を定めるとピタッと止めることができる。だから理想や夢を言語化して目標を掲げることが大事と言われているのだ。

 量子力学で説明しようとすると上記のような話になるし、宇宙的な観点で説明しようとすると、声に出して伝えることで、自身のお世話係であるパラレルセルフやハイヤーセルフ、味方である宇宙生命体がサポートをしやすくなって願いや理想が叶いやすくなるという側面もある。いずれにせよ、言葉にすることはこの世界では大切らしい。

 言葉はわたしにとって、世界を型どる道具のようなもの。言葉は大好きだけど、たまーに嫌い。人を励ましたり元気にさせたり勇気を与えたりできることも言葉の力。反対に、立ち直れないくらいにひどい言葉で心に消えない傷跡を残すことができるのも言葉の力。ふわふわ浮かんでいたものを言葉にする時、言葉にしきれないニュアンスを物質化できずにこぼれ落ちてしまう時がある。言葉を使っていたら、ありのまま感じた感情を100%で表現出来ない。言葉を使って表現をする人たちのジレンマがここにあるように感じる。

 わたしは日頃から営業としてお客様に言葉を使って伝えるという仕事をしているのだが、この4月に異動が決まり、営業は変わらないが接するお客様が変わるという出来事が起こった。わたしが「もっとお客さんと関係を深めていくような営業をしたい」「残業が多すぎるので、もっと働きやすい部署だったらもう少しだけこの会社で頑張れそう…。」そう考えていたらなんとそれが全て叶う部署へと異動となったのだ。特にそのような話は上司にはしていなかったし、異動希望を出してもいなかった。これは頭の中で毎日このような環境で働けたら…とイメージしたり、1日の働き方としての理想をモーニング・ページに書くなどをしていた。そのような言語化をしてから半年くらいで会社の辞令により異動することとなったのだ。言葉にすることで現実化が加速するという1つの良い事例である。

 とにかく現在は思考の現実化がされやすい時代らしい。これは良くも悪くも、だ。ネガティブな前提を自身で作ってしまうとその通りの現実となってしまう。幸せになるには努力しないと…というような思考でいると努力をさせられるような大変な出来事を引き寄せる。どんな前提でこの現実を生きていきたいのか、今一度自身に問いかける必要がありそうだ。

 わたしはやりたい仕事ができる部署への異動が叶い、期待を持って異動したわけだが、まぁすんなりスムーズ軌道に乗れていないというのが正直なところだ。この間なんか血迷って、社内公募で経理へ異動希望を出そうかと思ったくらいだ。この話を大学時代の友人にしたところ、「あんたは経理ではないだろ」と爆笑された。本当にその通り。わたしは数字だけの世界が好きではないし、コツコツとルーティーンワークをこなすのは性に合わないと感じている。本当にやりたいことなのか自身に問いてみたら「数字の世界に感動はない」と答えが返ってきたので応募することを辞めたのである。現状から逃げたかっただけなのかもしれない。でも、感情の介入をさせずにきっぱりと答えを導き出してくれる数字という道具の潔さも、わたしは好きだよ。だけどやっぱり、目に見えないものを型どってくれる無限の可能性を秘めた言葉を使って、わたしは生きていきたい。

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