自己犠牲×見返りありきの愛×健気

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 わたしは先ほど価値なしモデルについての記事を書いていて思ったのだが、この光景を夢で見たことがある。思い出した。デジャヴというやつだ。わたしは3年以内にこのような記事を書いてアップロードする夢を見たことがある。わたしは霊感は全然ないうえに、特別宇宙との繋がりが強いとも思っていなかったのだが、意外にも予知夢をそれなりに見ているようだ。

 さて、今回は「愛なし」モデルについて気合を入れて語っていこう。何と言ってもわたしの根幹は愛なしモデルなのである。だが、親友からは典型的な愛なしモデルではないと言われた。根幹ではないものの、ひとりぼっちモデルの要素も持っていると思っている。わたしが愛なしモデルになった原初の体験を思い出したので書いていこう。言語化するとなると、改めて心がヒリヒリする気がしてしまう。いい機会かもしれない。

 わたしは4人姉弟の長女である。末っ子とは6歳差であり、わりと歳の近い4人姉弟なのである。前にも別の話で書いたことがあるが、わたしが2歳になる手前で次女が生まれた。幼いころのわたしから見ると、妹は少し鈍くさくて、大人たちの気を引くのが上手で羨ましかった。自分でいうのも何だが、好奇心旺盛で自分勝手に動き回って1人の世界を楽しめるわたしと、鈍くさくて周りの大人の手助けが必要な妹では、やはり両親は手がかかる妹に力を入れるように見えていた(今思えばわたしのほうが年上なのだし、妹に手がかかるのは当然ではあるのだが)。

 妹や弟に関する、強く印象に残っている思い出がいくつかある。次女が幼稚園生になる前、おそらくわたしが4歳のころだろうか。妹がある日氷を飲み込んで窒息して気を失うという事件が起こった。妹は病院へ救急車で運ばれていった。結論妹は無事に助かっており、氷が溶けて自然と呼吸ができるようになり入院などもなく無事に家に帰ってきた。そのときはあまりのショックだったのか、わたしは妹が氷を飲み込んで気を失うところと、病院にどのように行ったのかという記憶がぽっかり抜けている。救急車が家に来たところと、両親と妹とわたしの4人で寝る前に妹を笑わせて、妹が生きているということに安心して眠ったという記憶だけ残っている。

 もう1つ。私が小学4年生のころ、幼稚園生の弟がおたふく風邪にかかった。そのおたふく風邪が重症化してしまい、合併症として肺炎を起こして弟は入院することになった。父親は会社員なので夜にしか家におらず、母親が毎日のように病院へ行って弟の世話をしていた。その間わたしと次女と末っ子は祖父母の家に毎日預けられていた。平日は夕方から、土日は1日中、祖父母の家で過ごしていた。

 上記の2つが特に覚えている体験ではあるのだが、このような体験を通して「わたしじゃなくても代わりはいる」という痛みを覚えた。様々な体験の中から、両親が愛を注ぐ先は、別にわたしでなくとも代わりがいるのだと思ってしまったのである。代わりなんていない、わたしだけを見てほしい、かけがえのない特別なわたしでいたい。これが様々な体験から得た、わたしの根底となる叫びと痛みである。

 このかけがえのない特別なわたしでいたいという無意識の設定から、優秀ないい子を目指していくことになる。小学校のころはいい成績を取ってクラス委員長や生徒会長をするなど、とにかく目立ちたがり屋だった。学年の誰よりも目立つ特別なわたしになろうとしていた。特別なわたしでいることで、両親の愛を受けようとしていたのだ。

 価値なしモデルと混同してしまいそうであるが、わたしは周囲からすごいね!と言われたくてやっていたのではない。これをした先に、両親から愛されることを目指していたのだと今では思う。価値なしモデルの原動力は、周囲から「すごい!」と評価されることだと思うのだが、愛なしモデルのわたしの頑張る原動力は、「期待に答えたい」であった。相手にがっかりされることが怖いので、期待に応えようと自己犠牲をしていくのである。今でもまだその兆候は全然残っているが、だいぶマシにはなってきている。アーティストウェイのワークを通して内観をたくさんしたからかもしれない。

 愛なしモデルは、他者へ見返りを求めて自己犠牲的に行動を起こす。愛なしモデルはそのような行動によって、愛を得られると思っているが、本当に大切なことは「自分がどう在りたいか」という観点が重要だという。自己犠牲的に行動を起こし続けていくと、自分の本音と乖離した行動を起こしてしまうことになるので、本当の自分がわからなくなっていくのである。他人を愛するためには、まずは自分を愛すること。ここでもやはり、まずは自分からという方程式が働くらしい。

由佐美加子、天外伺朗、2019年『ザ・メンタルモデル』、内外出版

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