肉を食べるということ

宇宙船地球号の日々

 わたしたちの身体はタンパク質が必要と言われているが、果たして本当にそうなのだろうか。諸説あるが、江戸時代の飛脚は、玄米とお味噌汁、芋や漬物などの粗食で1日150km~200kmを走っていたという話が残っている。江戸時代には生類憐みの令が出る時代もあり、肉を食べるという習慣はそこまでなかったように思う。

 わたしは肉を食べられなくなって3ヶ月弱くらいになるが、毎日元気である。愛子も肉や魚は元々好きではなく、最近ではもう卵も最小限で良くなったみたいだが、わたしの身近にいる誰よりも肌も髪のツヤも綺麗である。見た目も、実年齢と−10歳くらい乖離があるように思われる事が多いらしい。若々しく見られている。

 わたしも、肉を食べていた時と比べて、身体が軽くなったように感じている。わたしの場合は強制的に食べられなくなったと思っていたが、実は宇宙で計画をしてきていたことであった。時が来たので今は野菜中心の生活をするようになったわけだが、少し前に「本当にわたしは食べられなくなったのだろうか」と思い外食などで1口食べてみたことがある。全然美味しく食べられず、食べたことを後悔したのであった。不思議なことに、一度食べなくなると肉や魚を重く感じてしまい、全然身体に合っていないとわかるようになった。

 そう、多分今のわたしはエネルギーを食べている。タンパク質やビタミンなどの栄養素ではなく、恐らくエネルギーをいただいているのだ。食べる物にも意識レベルが関係しているようで、わたしは意識レベルが500未満の食べ物を食べると身体に支障をきたす。最近は意識レベルが550でも怪しく感じるようになってきた。意識レベルがそこまで高くないものを食べるとわたしは気持ち悪くなり、後から意識レベルを測定すると大体が500未満か550以下なのである。不思議な世界だ。

 でも、考えてみれば確かに、肉や魚を食べることの起点はエゴかもしれない。わたしたちが生き延びるために、生きたかった命が失われる。『パワーか、フォースか』の意識レベルの階層の中でも、肉や魚を食べるという行為自体が意識レベル200以下のいずれかの感情に当てはまりそうである。そんなことを言えば卵もそうなのだが、今のところわたしはまだ卵が好きである。いずれ、卵も食べられなくなる気がしている。美味しく食べられるうちに食べておこうと思う(ちなみに10月下旬時点で、わたしはゆで卵が食べられなくなった)。

 それから、料理をする人の意識レベルが作った料理へ影響を与える。そのために作り手の意識レベルが非常に重要なのである。これからの時代は何を食べて何を食べないのかという選択に加えて、「誰が作ったものを食べるのか」という点も、もしかしたら重要になってくるのかもしれない。

 

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