わたしの父方の祖母はその昔、植物や小鳥とお話が出来たと聞いている。父親は目に見えない世界を全く信じていないのだが、その話だけは祖母のことを否定せず、「そんなこともあった」くらいの感じで話をしてくれる。祖母が生きた時代を考えると、今よりももっと目に見えない世界に対する逆風は強かったはずで、実際に祖母は近所からも変わり者というレッテルを貼られていたらしい。
そしてわたしの妹は霊感があり、目に見えないものに対してのアンテナが高い。普段は見ないが、見ようと思えば人のオーラを見ることができる。だが、こういった目を使うことは体力も気力も消耗してしまうので、20代となった今ではもうほとんど見ていないとのことだ。妹は父とよく似ていて、父方の遺伝を強く引いている。そう思えば、妹が目に見えない世界に敏感なのは、隔世遺伝のようなものなのかもしれない。
父の実家は本家であり、わたしの実家である父の家は分家である(父親は4人姉弟の末っ子なのである)。前に、ブログでわたしの過去世で武士だったことがあると書いたことがあるのだが、本家のある場所はわたしの過去世が城主をしていた城の跡地から一番近い場所に位置している。そして本家のお隣には、その地域の元市長の方のお家がある。そして、本家と元市長の家のお墓は非常に大きく、なぜか墓地でも隣に並んでいる。
小さい頃から、なぜわたしたちの家のお墓と元市長のお家のお墓が同じくらい大きいのか、そして親戚でもないのに隣に並べられているのか、ずっと疑問だった。しかも、苗字も同じなのである。その墓地の中でも一番大きな2つの墓が並べて立っており、その墓地の中でも一番高台の、一番目立つ良い場所にお墓があるのである。偶然だろうか。
資料も何も残っていないので憶測ではあるのだが、本家はもしかしたら代々、城で巫女として仕えてきた家系なのかもしれない。実は祖母は婿養子を取って結婚しているので、血筋は本家の血筋なのである。そう考えると、お隣の元市長のお家は城で政治を担っていたのかもしれない。そのように考えてみると、お墓が2つ並んでいることも、家が城のすぐ下で隣同士であることも、様々な疑問についてのピースがハマったような気がするのである。
歴史を振り返っても、女性が巫女として宇宙から情報を降ろし、男性が政治を行うという構図のときが平和な世の中だったと思うのだ。記録がごっそり消えてしまっているものの、卑弥呼の時代が平和だったと伝えられているのは説得力がある。それぞれの性がそれぞれの得意分野で活きている世界。その時代はきっと、お互いがお互いのことを尊敬できる土壌があったのではないだろうか。女性は女性にしかできないことを、男性は男性にしかできないことを、それぞれの分野で活かして生きる。調和の世界だったように思うのである。
目に見えない世界がないものとして扱われてしまい、巫女としての役割をほとんど必要としなくなってしまった現代、男女平等の世界。男性も女性も活躍できる世界へ進んでいることは素晴らしいことであると思うと同時に、本当にこの形が最適解なのであろうかと疑問に思うこともしばしばある。男性も女性も何かしら譲歩して、お互いの形を削りながら凌いでいる歪な構図が、いつかガラガラと崩れてしまうような気がしてならない。なんのために性別が存在しているのだろうか。今一度、わたしも立ち止まって考えたい。
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