無力感×自分を責める×ありのままを認める

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 ここ1週間ですごい勢いで記事を書いているわけだが、わたし自身が一番ビックリしている。なんだわたし、こんなに短時間でもこれだけの量の文章を書ける力を持っていたのか…。この能力に気が付かずに生きてきたが、実はこれはわたし1人の力ではなく、わたしのパラレルセルフと愛子と愛子のパラレルセルフによって書くべき内容が降ろされていて書いているのである。9月19日までに残り9記事。これはいけそうだ。

 メンタルモデルについてのシリーズも最後の記事である。また新たな知見を得たら追記していこうと思っているが、一旦は今回でシリーズラストとなる。今回は「欠損・欠陥」モデルについて書いていく。

 わたしの身の回りの人を思い浮かべると、価値なしモデル>欠損・欠陥モデル>愛なしモデル>ひとりぼっちモデルというのが出現率が多い順番なような気がしている。

 「価値なし」モデルの次に、わたしの周りでは「欠損・欠陥モデル」が多い。「欠損・欠陥」モデルは基本的には自己肯定感と自己効力感が低いのが特徴である。「価値なし」モデルの克服型だと自己肯定感は低いのだが、自己効力感は高い場合が多く、周りを巻きこむ勢いを持っている。「欠損・欠陥」モデルの場合は、基本的に自分への信頼感が薄いので、自分が周りの足を引っ張ることのないようにと注意深く生きている印象を持っている。

 と思っていたら、やはり由佐さんも同様のことを本書に書いていた。「世界に自分が存在することに漠然とした不安を抱え、何かまずいことが起きると必ず、自分のせいだ、自分が至らないからだ、と自分を責める反応を起こすのが特徴です(p.200~p.201)」とある。わたしはそこそこ自己肯定感が高い方だと思っているので特に衝撃的に感じるのだが、「世界に自分が存在することに漠然とした不安」を抱えているというのがとてつもなく辛そうだと感じてしまう。

 わたしの会社の2個下の後輩の世代は「欠損・欠陥」モデルが多い。今学校でも運動会で順位をつけないだとか、世の流れというか、そういう傾向にあるのはもしかしたらメンタルモデルの分布の変化によるものなのかもしれない。ともかく、会社の同じ部署の2個下の後輩で「欠損・欠陥」モデルの逃避型の子がいる。典型的な逃避型である。自分が「できない」人間であると気づきたくない。自分が出来ないという自覚をすること自体が痛みだと思うのだが、それを回避するために、そもそも「やらない」という選択肢を取るのである。

 そうなると「価値なし」モデルの克服型上司は困惑する。やることで承認欲求を満たしてきた「価値なし」モデルの克服型からすると、やらないという選択肢がそもそも備わっていない。そうなると、未知の生物に遭遇した…、というような衝撃を受けている場面を多々見る。やれと言われてもやらないので、価値なしモデルの克服型を持つ上司からするとやりにくいかもしれない。「欠損・欠陥」モデルの人で克服型の人とはあまり会ったことがないような気がする。逃避型になりやすいのではないだろうか。

 この「欠損・欠陥」モデルは、「自分は自分のままで大丈夫だ」と思えるようになることで次の扉が開くような印象を受けている。「欠損・欠陥」モデルの場合は、他人と比べて自分が出来ていないことに目を向けるのではなく、自分自身の内側に感じていることをまずは自覚し、どう在りたいかを見極めて行動に移すことが大切である。

 4つのメンタルモデルを紹介してきたが、そのメンタルモデルへとなっていった過程の中で、必ず何かしらの体験・経験を経て根幹のメンタルモデルが形成されている。自身の根幹にあるメンタルモデルは何かをまずは特定し、その次にその経験から経たその人固有のテーマ(由佐さんは「その人固有の言霊」と言っている)を探すことも大切なことであると由佐さんは本書で語っている(p.208以降を参照にすると良い)。傷を知覚するための鍵、のような言葉ということだろう。

 前に別の記事でも書いたことがあるが、まずは根本の痛みに気付くことが大切なのである。痛みは、悲しみであり怒りでもある。今の地球には、感情を言語化するにあたり、最適な言葉が存在していないという場面が多々ある。そのため感情を言葉にできなくとも、自分の中に何かしら感じていることを自覚し、感じ続けることが大切なことである。現在直面している現実を変えたいのであれば、自分の内側を見つめ直すことが一番の近道だと思う。

(※)参考文献・出典

由佐美加子、天外伺朗(2019年)、『ザ・メンタルモデル』、内外出版

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