わたしは小さい頃からキラキラと輝く透明な物が好きであった。これは今でもブレない、好きなものの1つである。過去にお付き合いをした人からもらったプレゼントの中で、わたしはブランド物をもらったときよりも、ブランド物でも何でもない水色のガラスのネックレスをもらったときが一番嬉しかった。
以前もブログで書いたことがあるが、わたしが幼稚園生のころ、宝石屋さんになるという夢が人生で一番最初に持った夢であった。透明で、キラキラしている石に囲まれていたいというのが動機である。この夢は母親からの「宝石屋さんは強盗が入るかもよ」という一言で瞬殺されることとなったのだが、宝石とは言わずとも、やはり大人になった今でもキラキラしたアクセサリーや小物を見ることが大好きだ。
ところでわたしは青が好きである。青の中でも特に水色が一番好き。愛子に作品をオーダーしたときも、水色を入れてほしいと頼んでいた。そういえば、持ち物も水色や青が多い。透き通るような、水の中にいる感覚にさせてくれるような、わたしにとっては自由を感じられる色。
今このブログを書きながら思い出したのだが、小学3年生ごろまで、お風呂は水色やブルーグリーンの入浴剤を買ってもらうことにこだわっていた。水色やブルーグリーンのお風呂の中でゴーグルをかけて、天井を向いた状態で風呂底まで沈み、キラキラ輝く水面を見ることが好きだった。
実家のお風呂は成人の男性が足を目一杯伸ばせるゆとりがあるくらい、大きな浴槽であった。充分に大きい浴槽だったので、小3くらいまでの身長であれば足の先から頭のてっぺんまで風呂底に沈めることができたのである。(今思えば子どもからすると危険な浴槽だったように思う。当時2〜4歳くらいの末っ子の妹がよく足を滑らせて溺れかけていた)
そして実家のお風呂は2階にあり、浴室には自然光がたっぷりと入る窓が設置されていた。特に真っ昼間からお風呂に入った時に見ることのできる、自然光が反射してキラキラしている水面はとりわけ美しかった。わたしはもしかしたらどこかの過去世で魚として生きていたことがあるのかもしれない。いや、人魚だったのかもしれない(人魚であってくれ)。
先ほど愛子にお願いしてキネシオロジーテストをしてみた。過去世でわたしは、地球以外のどこかの星で魚であったことも人魚のような存在であったこともあると出た。そう言えばわたしは昔から人魚にまつわる話が好きであった。今思えば、これらの感覚は全て、過去世の記憶から来る懐かしい感覚だったように思える。このキラキラした水面を見ることは、わたしにとって癒やしの時間であった。
このわたしにとっての癒やしの時間は、母親からすると心臓が止まりそうな光景であっただろう。わたしがあまりにお風呂から出てこないので母親が様子を見に来てくれるのだが、母親の視点だとわたしが風呂底に沈んでいるような光景なのである。死んでいるかもしれないとぎょっとするのは当然であろう。当時はこの遊びをしているとべらぼうに怒られていた。死んだらどうするの!?と母はめちゃくちゃに怒っていたのである。そりゃそうだ。
もしわたしに子どもがいたとして、お風呂を覗きに行ったら風呂底に沈んでいる光景を見てしまったら心臓が止まりそうな思いがするだろう。だがわたしは怒られても隠れてこの遊びを続けていた。なんなら2個下の妹も巻き込んで一緒に遊んでいたのでそれも追加で怒られていた。怒られても懲りない性格なのはこのころも健在だったようだ。
ちなみに風呂底に沈む遊びをしていたのは小学3年生までであったが、天井の方を向いて頭を湯船に付けた状態で耳までを沈ませて、水の音を聞くということは高校生のころまで続けていた。身長が伸びて風呂底に沈むことが難しくなってしまったので、せめてもの代替案で水の音を聞くということだけは続けていたのである。中学入学くらいから部活で忙しくなり、土日の昼間にお風呂に入ることができなくなってしまった。そのため、夜にお風呂に入った時に、浴室内の電気を消し、風呂の蓋も閉めて水面から風呂の蓋までの狭い隙間に顔を出して暗い空間の中でこの水の音を聞くことを癒やしの時間にしていたのである。
耳をつけて顔は水面よりも上に出ているので、息をし続けられる状態で長い時間を過ごすことができる。だがこれの難点は、外の音が全く聞こえないので母親が2階へ上がってくる足音も聞こえないことである。これも見つかったら母親から死ぬほど怒られていた。今考えてみればわたしも、わざわざ律儀に風呂の蓋まで閉めていた意味が分からない。怒られるのも当たり前である。なぜこんなにも周りから、死んだんじゃないかと心配にさせるようなことをしていたのだろうか。
そんな訳で(?)、わたしは透き通るものやキラキラしているものには特に執着心のようなものを持っている。水を思い出すからなのだと思う。以前、テレビ番組で宝石のバイヤーの仕事について密着取材をしている放送を見た時に心の底から羨ましいと思っていた。その方はバイヤー兼ジュエリーデザイナーをしていた。あんなにキラキラしている物を日頃から見て、自分の手で創ることができるなんて。そしてそんな素敵なことで生きている人がいるなんて。心が踊ったことを今でも覚えている。
そのときめきは未来への予感だったようだ。わたしは今世において、ジュエリーデザイナーになるという計画を宇宙で立ててきているらしい。宝石なんてどのように手に入れるのだろうと思っているのだが、地球に生まれる前に月で執り行われる才能の授与式で宝石を手に入れる才能をフナブ・クより授かっているという。なんとマイクロビッグバンを起こして宝石を生み出すという能力を持って生まれてきているとキネシオロジーテストでは出ているのだ。
ビッグバンという、宇宙が生まれた時に全てが生まれた大爆発は学生のころに習った方もいらっしゃるだろう。マイクロビッグバンとは、それのもっと小規模な現象である。何も無いところから物質を生み出すというものがマイクロビッグバン現象と呼ばれている。
実はすでにそれを商業化して実践している場所があるという。タイのクラビ山の洞窟の中で行われており、天の扉開き(あまのとびらびらき)と呼ばれている。ここでは複数人の司祭者がマントラを唱えることで、洞窟の天井付近から火花が発生し、鉱物などが降ってくるというのだ。
マイクロビッグバンによる物質化現象というのは日本でも行われている場所があるとのことだ。マントラを唱えるという儀式だと言うので、やはり言葉が大切なのであろうか。愛子が日巫女だった時代には祝詞(のりと)も存在しており、祝詞でも物を消したり出したりということは出来ていたようだ。
キネシオロジーテストによれば、わたしがマイクロビッグバンを起こして宝石を出すことができる能力を持っているということにYESという回答を得ている。が、わたしは今のところ一切超能力のような力で何かを起こしたエピソードもなければやり方すらも分からない。それがやれるイメージすらできない。これらの一連のキネシオロジーテストが本当に合っているのかどうか、そして本当に当たったとしたらこれほど面白いものはないのではないかと思い、先にここに記しておくこととしよう。
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