死を乗り越えて(2)

生澤愛子との生活

 これは面白話なのだが、わたしが初めて死について考えるようになったのは小学校1年生のころだった。心臓が止まったら死んでしまうということを母から教えてもらい、わたしは毎日気付いたタイミングで、頻繁に左胸付近に手を当てて心臓が動いているか確認をしていた。ある日わたしは深夜に目が覚めた。深夜眠っているとリラックス状態なので心臓の動きがゆっくりになると思うのだが、わたしはこのゆっくりとした心臓の動きを「このままもう一度二度寝したら死んでしまうかもしれない」と勘違いして、怖くなったのであった。

 急に恐怖を感じたわたしは、深夜で家族皆が寝静まっている中、家の廊下の電気をつけて、爆速で走り回った。今思えば迷惑な話である。皆寝ているとはいえ、急にドタバタと足音が聞こえたら誰か起きてしまうかもしれないという配慮は全く考えなかった。補足だが、わたしの家の廊下は細長くて、多分6m強くらいはある。小学1年生が心臓の動きを確認する程度には充分すぎるくらいに運動ができるスペースなのであった。運動をしたら心臓が激しく動くということには気付いていたので、運動をして、心臓がドクドクとしっかり動くことを確認した後、わたしは安心してまた布団に戻っていったのであった。あんなに走り回っても寝るときは秒で眠れるのである。多分、思ったことをすぐに行動に移す突拍子もない性格はこの頃からすでに兆候があったように思う。

 生きながら死を体験する人もいる。愛子は中学生のころに臨死体験をしているのである。これは宇宙で計画してきたことではあるのだが、『パワーかフォースか』の意識レベルの階層で言えば、一番下のレベル「恥」の20ポイントよりも更に下の意識レベルまで愛子は到達してしまっている。愛子の中学生のころの意識レベルの変動を下記に記載するので見てほしい。凄まじい壮絶な変動である。

【愛子の意識レベルの変動】◆小学校卒業時:意識レベル670台 → ◆中1の4月:400 →◆ 5月:300台 →◆ 6月:200台 → ◆7月:意識レベルが100台から12まで一気に下がる※ここで愛子は自殺を考える → ◆自殺を考えてから意識レベル20までは復活する → ◆中学2の5月:30台 → ◆6月:80台 → ◆7月110台 → ◆8月160台 → ◆9月80台 → ◆10月100台 → ◆11月190台 → ◆12月195 → ◆1月〜中3の7月まで:195 → ◆8月220 → ◆9月230 → ◆10月280 → ◆11月310 → ◆12月340 → ◆1月410 → ◆2月440 → ◆3月450 → ◆高校生のころは意識レベル400台をずっと維持する → ◆専門学校入学後、8月に意識レベル500まで戻る

 愛子は意識レベルが12まで下がったタイミングで、もう人生を辞めてしまおうと45階建てマンションの20階の家のベランダから飛び降りるために足をかけるところまでしたという。そこで、飛び降りる勇気もないので生きるしか方法がないのかと絶望したと言っていた。この意識レベル12というのがパワーかフォースかでは測定不可の領域である。20のレベルで死に近いのに、それ以下となると限りなく死に近い状態であろう。意識レベル12を乗り越えるということが、愛子にとってはメンタルモデルの直面期を迎えた状態であり、ほとんど死んだようなものであったと言っても過言ではないだろう。

 そう言えば、死は新たな肉体を得るために古い肉体を捨てるというプロセスの1つだと紹介したが、では魂が死ぬということはないのだろうか。肉体が変わるが魂はそのまま生き続けるという印象を持つものの、実際に魂が死ぬ、ということも存在している。それは、この宇宙の一番上の創造主が魂を消してしまうということが魂が死ぬ状態と同等である。特にこのメルボル銀河内に存在する闇側は、宇宙のルールを破って様々な攻撃を光側に対して行っている。何度もルール違反をした魂に関しては消されることになっているのである。これは転生がないので、ここの領域まで行ってしまうと死ということになるのであろう。

 死について様々語ってきたが、ポジティブに捉える必要も、ネガティブに捉える必要もない。魂が成長するにあたっての1つのプロセスとして、ただ受け入れるということが大切なのだとわたしは思う。前にも書いた通り、意識レベル500未満の方は意識レベル500を目指して、意識レベルが500以上の方は宇宙で立ててきた計画を遂行することに集中することが最適だと考えている。それぞれの魂のフェーズにおいて、今世においてどこまでのレベルまで持っていきたいのか、という観点だけは頭の片隅にでも置いておきたいと思う。

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