感情コレクション

宇宙船地球号の日々

 昨日、1年ぶりに会う友人と話をして気付いたことがあったので、忘れないうちに言葉にしておこうと思う。

 その友人は、話しながら自分の発した言葉に気付きを得て、その時動いた感情をその場で注意深く観察するという稀有な人である。自分の発した言葉から気付きを得るなんて、誰にでもできることじゃない。自分と深く繋がっていないとできないことな気がする。昨日は感心させられっぱなしだった。

 普段の生活の中で出てきた感情を見つめて、今何に対してどのような感情を覚えたのかを取り出して確認するということはこれからの時代には必要な能力だと思う。これからの時代、思考が現実化する世界にどんどん色濃く移行していくからである。(もう今でも十分に思考が現実化する世界になっているんだけどね)

 思考が現実化する世界になるとどうなるのか。言葉そのままの意味で、考えていることがそのまま世界へ投影されていく。そういう世界になっていったときに、わたしたちそれぞれの中に存在している感情がそのまま世界へ投影されて、わたしたちに気付きを得られるように教えてくれる。

 例えばわたしは、幼少期から、わたしの近くに自分勝手な人が必ず現れてきた。近くというのは、会社の場合だとわたしが担当するお客様や同じ営業チーム内のメンバーくらいの距離感である。わたしの尺度だけではなく、周りからの印象でも自分勝手な人というレッテルが貼られるような人が必ず近くに現れるのだ。

 わたしはなんで世の中こんなにわがままで自分勝手な人が多いんだろうと思っていたのだが、違った。わたしが、そういう世界を作り出していたのである。そして、わたし自身の過去を深堀って深掘って出てきた根っこには、2歳のころのわたしの感情に紐づいていた。

 わたしは4人姉弟の長女なのだが、2歳のときに妹が生まれた。それまで両親を独り占めしていたわたしは、そこで初めて両親の関心を得る別の存在と対峙することになった。「わたしだけを見て」と思ったわたしはあの手この手で両親の関心を得ようとする。いろいろと試してきて、最終的にとった手段が「いい子でいること」だったのである。いい子でいることとは良い成績を取るとか、両親の役に立つような何か手伝いをするとか、学校で委員長になって目立つとかそういう手段を取ったのである。全てはわたしだけを見てという気持ちが発端なのである。

 そこまで深堀をして気付きを得たときに、まずは「わたしだけを見てほしかったんだね」と小さいころのわたし(いわゆるインナーチャイルド)に対して語り掛ける。気付き→認めるへの移行である。そういう気持ちを持っていた自分を認めて受け入れることができたとき、次に必要なステップは決めることである。この感情を持ち続ける必要があるのかどうか?持ち続けるメリット、この感情を解放するメリットどちらも考えて、自分で決めるのである。

 そしてわたしはこの感情を解放することにした。わたしだけを見てと思うわたし、いい子でいようとするわたし、どちらももう必要ないよねと決めて、手放すのである。手放すことは結構労力がいるので、その感情を飽きるまで味わい尽くすことをおすすめする。そうしたらスムーズに感情を手放すことができる。

 手放してどうなったか。自分勝手な人が周りから消えるのである。本当に不思議な体験だった。周りから自分勝手と言われるようなメンバーとは異動によって物理的な距離ができたし、担当しているお客様は本当に同一人物か?と思うほどに自分勝手なことを言わなくなるのである。本当に本当に不思議。でも、わたしの世界への前提が変わったから起こったことなのである。

 何か苦しいことや辛いことに共通項があるとき、大抵の場合は何かその人に気付かせたくて起こっている出来事のはずだ。苦しいことや辛いことが起こるとき、何を感じるか?注意深く観察すると必ず自分の生き癖に辿り着く。

 自身の揺れ動く感情に敏感に反応できる友人を目の前で見ながら、わたしの場合は自分の感情と向き合うためには余白のある生活をしないと難しいかもしれないと思った。丁寧に日々を暮らす中で、自分と向き合っていきたい。

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