巡る環(わ)の中で

生澤愛子との生活

 わたしたちはきっと、遠い昔からずっと繰り返している。巡り合って、くっついて、離れて、また出会う。今世でもまた、巡り会えた。

 ブログに度々登場してもらっている愛子と仲が良くなったのは、ここ1年半くらいのことである。だが、愛子との出会いはもう10年以上も前のことになる。愛子との出会いも、宇宙で計画してきた通りに出会っている。当時のことを振り返りながら、今世での出会いを書いていこう。

 わたしが高校生くらいのときに、Twitter(現X)やFacebookやLINEなどが急速に流行りだした。わたしには幼稚園生のころからの幼馴染がいるのだが、幼馴染がこれらの登録や使い方などを全部教えてくれた。幼馴染とは、幼稚園から中学校まで同じ学校に通い、高校ではお互い別々の学校へ進学していた。だが、中学を卒業した後もちょくちょく遊んでいたのである。幼馴染には高校生のころに、「もし貴方が男性だったら、きっとわたしは貴方と結婚してると思う」とふと伝えたことがある。幼馴染に対して恋愛感情があったわけではないのだが、なぜだかその形の関係性がしっくり来ると思ったのである。幼馴染は、「同じこと思っていた」と言ってくれた。最近、その幼馴染とは過去世で夫婦だったことが分かった。遠い昔の、過去世のパートナー。全ての記憶を失くしていても、やっぱりどこかで覚えているのだろう。元気にしてるかな。

 ある時その幼馴染が、Facebookで「高校生旅人会」という面白いコミュニティを見つけたと教えてくれた。一緒に入ろうと誘ってくれて、高校の友だちとはまた別に、ネット上で同世代の友人が出来た。会ったこともないのに、LINEやTwitterやFacebookで旅人会の皆と盛り上がって、夢中になってたくさん話した覚えがある。その高校生旅人会を立ち上げたリーダーが、愛子であった。

 愛子は今のようにアーティストとして活動する前で、ネットなどで四つ葉が光って見えると発信し始めたころだった。高校生旅人会に幼馴染から誘われたとき、幼馴染が「こんな子がいる」と愛子の話をしてくれた。心が踊るようにときめいた。なんて才能溢れる素敵な人なんだろう、同世代にそんな奇跡のような子がいるんだと思ったのだ。

 高校生旅人会に入ってからそんなに経たないうちに、今度皆で会おうという話になった。西東京の方の駅で待ち合わせしようとなったのだが、さあ困った。わたしは千葉の田舎に住んでいて、当時のわたしにとって、東京に遊びに行くことは一大イベントであった。ましてやネットでしか話したことのない人たちと東京で会うなんて…。悪い大人が混ざっていたらどうしよう。皆に会いに行くことはその当時のわたしにとってはかなり勇気のいることだった。

 当時はそれなりに真面目な性格だったので、両親に理由を話して東京へ遊びに行くことを伝えた。もちろん大反対された。ネットで出会った人とリアルで会ってはいけないと習わなかったのかと怒られた。事細かに話してしまったもので、そりゃ反対されるのも無理はない。両親は幼馴染のことは幼稚園生のころから知っていたので、幼馴染と一緒に行くなら…とたくさん説得してようやく賛成を得た。

 さて当日。一緒に行く予定だった幼馴染から、体調不良で行けなくなったと連絡が入った。困った。両親には幼馴染が一緒だからという理由で許可を得たのに、肝心の幼馴染が行けない。どうしよう。考えたが、皆と会えるのは今日しかないかもと思い、親には幼馴染が行けなくなったことは伝えずに1人で西東京の方へ向かっていった。今でこそ、「これくらいのことでビビって、若かったな」と思うが、当時のわたしからするとかなり大きな勇気が必要なことであった。なぜか、今日行かなきゃいけない気がすると思っていたのだ。あのとき勇気を出して、旅人会の皆に会いに行くことにチャレンジした自分を褒めてあげたい。

 そして駅に到着して拍子抜けした。なんだ、皆LINEやFacebookの写真のそのまんまじゃないか。悪い大人がなりすましているなんて全くの妄想だった。皆でミスドへ行って(行く場所が可愛い)プリクラを撮り、その後マックへ行って(可愛い)たくさんたくさん話をした。確か最初に待ち合わせしていたときに愛子と初めましての挨拶をして、最初のミスドで愛子の近くに座ってたくさん話をした。話をしたというより、わたしは聴いていたという感じだったように思う。その時に愛子が四つ葉のしおりをくれた。今でも実家で保管している。

 高校生旅人会の当日は確か15名くらい集まっていたので、そのときはまんべんなく色んな人と話をした。愛子としっかり話をしたのはミスドの場面だけだったような気がする。それが最初の出会いであった。

 そこから、愛子が高校を卒業するときや個展を開くときなど、節目節目で連絡をして会いに行っていた。そういえば愛子がクラウドファンディングをしていたときにも連絡をした。友人と遊ぶときなど、わたしは基本的には誘われることが大半なのだが、彼女に対しては違った。何かしら彼女がSNSで呼びかけをしていたら、わたしから連絡を送っていた。高2で出会ってから2022年の秋までの期間は、おそらく片手で数えられるほどしか会っていない。そして愛子が一人暮らしをするようになってから、わりとすぐにわたしは愛子のお家へ頻繁に遊びに行くようになる。10年間片手で数えるほどしか会っていないくらいの関係性なのに、なぜお家へ遊びに行くと連絡したのか今でもわたしは不思議である。

 愛子のお家へ遊びに行くようになってからは急激に距離が近くなった。時が来たのかもしれない。時が来るということは、氷が溶けて解凍されるようなイメージがある。ここから、前のブログで書いた通り、わたしは彼女と同じアパートへと引っ越す流れへと繋がっていく。お家に遊びに行くようになってからは、急に川が激流になったかのように変化していったのである。

 必要なときに、必要なサポートが入って繋がるべき人とはきちんと繋がれるようになっている。愛子とは前世では親友、過去世では夫婦だったこともある。高校生の時に、なぜあの日に行かなきゃいけないと思ったのか、それはきっと愛子に出会いに行くためだった。そういう約束だったと、今ではわかる。

 

 

 

 

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