孤独感×1人でも生きる覚悟×ワンネス思考

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 このメンタルモデルシリーズの記事について、タイトルはそれぞれのメンタルモデルへ感じている特徴をキーワードをピックアップして名付けている。わたしがこのタイトル名を思いついたような気でいたが、パラレルセルフが送ってくれた内容なのである。

 「ひとりぼっち」モデルの特徴として、どんな人であれ人との繋がりはなくなっていくものだから、最初から「去るもの追わず」という精神でいるらしい。「愛なし」モデルは人が離れていかないように貢献するなど、その関係性に執着しがちであるのに対し、「ひとりぼっち」モデルの場合は、人が離れていくことがすでに前提となっており、人が離れていくからこそ1人でも生きていけるように克服する、といった流れだろうか。

 生まれたときにすでに分離という痛みを経験して、さらに世界と対峙しても他者との分離を感じてしまうのがこの「ひとりぼっち」モデルであるように思う。人が離れていきそうになると自分から手放すような行動を取るなど、無自覚の回避行動が行われるらしい。人が離れていくという諦めが前提と考えると、なんという孤独感なのだろうか。

 人がめんどくさいので、それゆえに動物や自然など言葉を介さなくとも何かしらを受け取れる世界が好きなんだとか。感性の世界だ。確かに、わたしの知る「ひとりぼっち」モデルの友人たちを思い浮かべると、世界に対して繊細なセンサーが働いているように見える。流れている綺麗な水を、丁寧に掬うように世界と対峙しているような、そんな印象を持っている。

 いつかいなくなる、という前提があるがゆえに、他人の評価をそこまで気にしていないというのも特徴ではないだろうか。人に分かってもらえなくとも信念を持ってブレずに、新しい価値観の提唱に向けて世界へ向かっていく「ひとりぼっち」モデルの姿勢にわたしは感化されやすい。

 どのモデルもそれぞれ違う形での痛みを伴うので、どっちが良い悪いの話では全くないのだが、個人的には「価値なし」モデルは今の現代を生きていくうえでは一番生きやすいのではないかなと思ってしまう。考えてみると、「価値なし」モデルの社会への適合の仕方は昭和時代の働き方と酷似していないだろうか。そのときに、権力や影響力を持って活躍している人たちのメンタルモデルにより、時代が形成されているのではないかと思ってしまう。

 でもそれもそろそろ終焉を迎えそうな気配を感じている。「価値なし」のモデルでは生きにくい世の中になってきているのではないだろうか。「価値なし」モデルが多く所属しているわたしの会社では、よく上の世代の方から「もうあの頃のような時代じゃない」という言葉を頻繁に聞く。これからの時代は1人ひとりが自分と繋がることが大切である。その結果、世の中へ循環のエネルギーが流れるようになっていくのではないかとわたしは思うのである。

 「ひとりぼっち」モデルは、その人が与えようとしている影響力の範囲が広いことが多いように感じている。視野が広く、視座が高いイメージである。「ひとりぼっち」モデルは、これからの時代においてパイオニア的存在として時代を牽引していく動きを起こしていくのではないだろうか。1人ひとりが個に集中して生きていくブレなさが地球全体の意識レベルの向上へと繋がっていく。それを今体現しているモデルなのではないだろうか。

由佐美加子、天外伺朗(2019年)、『ザ・メンタルモデル』、内外出版

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