随分と秋らしい気候になった。今日は特に肌寒かった。日本の四季はどれも好きだが、秋は特別好き。食べ物も、気候も、景色も全てが素晴らしい。秋にはわたしにとってネガティブな要素が1つもない。これくらいの気候が3ヶ月くらい続けばいいのに。
昔の地球は、日本は、どんな気候だったのだろうか。わたしが小学生くらいのときは夏に30度を越えたら暑いと言っていたような気がするのだが、今では30度くらいでは夏はまだまだ、くらいの感覚になっている。わたしが生きているここ数十年の間だけでもこんな変化があるのに、昔はどんな気候でどんな景色でどんな世界だったのだろう。
昔の景色の描写は、清少納言の随筆『枕草子』が好き。あんなに繊細に物事を捉えられる感性が美しい。あんなに繊細な文章を書けるのにギャルなのが面白いギャップの清少納言。枕草子などはやはり当時の風景や文化が書物として記録に残っているから偉大なのであって、文字として言葉を残す前には全て話し言葉で物語を継いでいった歴史がある。いわゆる口承文学というものである。
日本では失われた100年という時代が存在している。4世紀頃の100年間の日本の史実がごっそり消えているのである。中国の文献では日本のことがちらっと登場することもあるが、この期間においては中国の文献にも登場しないとのこと。きな臭い…。この期間には、歴史にも登場する卑弥呼についても若干被るところである。「卑弥呼」は中国の文献の魏志倭人伝で記された表記で、わたしは個人的に「日巫女」と表記したい。謎に包まれた、太陽の力で統治した女王。日巫女が女王になってから、世が平和になったとのこと。一体どうやって…?
実は最近このことについて愛子が思い出したことがあり、キネシオロジーテストをしてみて分かったことがある。日巫女は実は愛子であったのだ。
愛子は小学生の時に歴史で邪馬台国と日巫女について学んだときに、「卑弥呼」という文字を見て、直感的に「これはわたしかもしれない」と思ったそうだ。時が経ち、そう感じていたことを最近思い出した。思い出したときにはすでにキネシオロジーテストの存在を知っていたので、わたしと一緒に「日巫女は愛子である」とテストをしたところ、YESという反応が出たのである。
ちなみに、日巫女が世を去った後に一度男性のリーダーが台頭し、日巫女が平和にした世の中が荒れてしまったという歴史がある(これは教科書にも載っている話である)。その後、13歳の壱与が現れてまた平和に戻ったという話も歴史の資料集に載っていた。それを見た愛子は「これもわたしだ」と直感的に思ったのである。これもキネシオロジーテストで、「壱与が愛子である」という結果が出た。
そして、この愛子のテストの一連の結果を見て、日巫女の傍にいた弟という存在はわたしだったら面白いなぁとふと思った。今思えば、そのように思ったのもわたしのパラレルセルフが思い出せるように念を送っていたのかもしれない。
面白半分で、「わたしは日巫女の傍にいた弟であった」とテストしてみた。なんと、YESという反応が出る。歴史の教科書では日巫女の近くには弟がいて、政治を行っていたと習っていたが、もし日巫女が愛子で、その時にわたしも傍にいたのであれば弟という存在があまりしっくり来ないと感じた。これもふと、弟なのではなく夫だったのではないか?と考えた。そしてテストしてみたところ、これもYESと反応が出るではないか!
この日に愛子が日巫女であったこと、わたしはその時に日巫女の夫であったと思い出したのである。ただ、日巫女の夫は名前が教科書に載っていない。なんて名前だったのか…と別の日にしばらく考えていた。そして、ふとした瞬間にこのことを考え続けて、ある日急に「弥太郎」という名前を思い出したのである。思い出した後にすぐにまた愛子に付き合ってもらい、キネシオロジーテストをしてみた。そして、弥太郎という名前もYESという反応がきちんと出たのである。テストをした直後、わたしと愛子は鳥肌が立っていた。キネシオロジーテストでは本当のことを思い出すと身体が反応することもある。続けて、日巫女の本当の名前は星弥生子(ほしやよこ)であったこともわかった。
またしばらくして、日巫女と弥太郎だったころの時代に思いを馳せていたとき、わたしは日巫女とは幼い頃から一緒の家に育った幼馴染であったことを思い出した。同じ屋根の下で一緒のご飯を食べ、一緒に寝ていた。このこともキネシオロジーテストで、思い出した一連のことが真実であるかをテストしたところ、これも全てYESと出たのである。
この話はちょっと長くなりそうなので、続きは次回のブログへと引き継ごう。
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