このザ・メンタルモデルには「メンタルモデルは、15年以上にわたって個人が人生で抱える現実の問題や悩みに対して、ひとりの人間の内的世界が外側の現実を創り出している、という原理を元に、その現実に起きている事象がどこからどのように創りだされているのか、という仕組みを、一人ひとりの内的世界の状態をある構造で可視化することによって見出してきたものです(p.182)」と書かれている。現実に起こっている問題や悩みから、その人の根幹となるメンタルモデルを探っていくということが可能だという。
この現実で適合して生きるにあたって使っている生き方・生き癖を本書では適合OSと読んでいる。OSというくらいなので、根幹・基盤という解釈で相違ないだろう。この4つのメンタルモデルにはそれぞれ克服型と回避型の2つの行動パターンがある。克服型はそれぞれの痛みを回避すべく努力で賄おうとするし、回避型はそもそも勝負しない・やらないという行動で痛みから逃げようとする。今回は4つのメンタルモデルの中でも「価値なし」モデルにフォーカスして語っていきたい。
「価値なし」モデルは、「自分には価値がない」という根幹の痛みから自身に価値があることを証明すべく行動する、もしくは「自分には価値がない」と感じたくないために行動を起こさないというどちらかのパターンで痛みを昇華していこうとする。「その根っこにある痛みは、『自分がただありのままで存在しているだけでは、価値あるものとしては認めてもらえない』という類の、命としてただ存在すること、自分の存在そのものに価値があるという『あるはず』だった世界が欠損している、という痛みになっています(p.193)」とある。
わたしの会社にはこの「価値なし」モデルが非常に多い。営業職が約8割を占める会社だからだろうか。売上というわかりやすい指標があるので、克服型の価値なしモデルからすると適合しやすい環境なのだろう。数字を上げれば周りからチヤホヤされる→自分には価値があるという構図になりやすい。
だがこの「価値なし」モデルの評価軸はあくまでも他人ありきである。自身の本音とは関係のないところで頑張り続けてしまうので、自分を見失ってしまったり、本当は何がしたいのかがわからなくなってしまうという。
わたしの周りにいる「価値なし」モデルはバイタリティが高い。ギリギリまで働ける人たちである。これも「価値なし」モデルの特徴らしく、年齢が上がるとともに酷使してきた身体に不調が起こることでこの「価値なし」モデルとして適合し続けることの限界を迎えるケースが多いらしい。確かに、わたしが前の部署で非常にお世話になった「価値なし」モデルの上長はつい3ヶ月前くらいに靭帯を切ってしまい、入院していたそうだ。久々にあったら顔つきが変わっていたので、直面期を迎えて何かしら意識の変容が起こったのかもしれない。
本来であれば上記のような強制アップデートが起こる前に自身で気づいて、自己承認へ移行できるかどうかが内側と繋がるための鍵となる。意識をしなければ、自己承認は難しい。やはり、過去どのような経験から痛みを覚えて、痛みを避けるための行動を取っていったのかという原初の体験を思い出すことも重要な気がしている。
(※)参考文献・出典
由佐美加子、天外伺朗(2019年)、『ザ・メンタルモデル』、内外出版
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