人生は意識レベルでできている(6)

生澤愛子との生活

 専門学校を卒業する時に、最初は就職せずに起業したりフリーランスで働こうかとも思っていたが、今すぐにやることではないかもと思い始めた。その頃に入っていた起業家を目指す人たちが集まるコミュニティで出会った友達が、とある会社の社長を紹介してくれた。社長と会い、その後2〜3回くらいオフィスへ遊びに行くことになった。遊びに行っているうちに、「よかったらうちで働いてみる?」と社長から言われた。四つ葉のクローバーの活動も応援するよと言ってくれたのである。

 起業家コミュニティでは会社員として働くことに反対をされることもあったが、愛子は論理を越えて直感的に、「今はこの選択がベストだ」と思った。そして、その会社に就職をすることになる。今はまだ言えないのだが、愛子はこの会社で働く中で、この会社にいるからこそ今に繋がる素晴らしい出会いがあったのである。この会社で働くことも、宇宙で計画を立ててきていたことの1つであった。会社に入社した当初は意識レベルが540ぴったりであった。

 その会社は自社でものづくりを行いながらヨーロッパの美しい食器や花瓶を取り扱っていた。愛子はその会社で働くことで美しいものへの感度を磨いていった。その磨いた感度は、愛子の今の生活にとても役に立っている。お気に入りの花瓶や美しい食器を日々の生活で使うことで、豊かな生活を送れているのである。

 その会社で働きながら、取引先の花屋で前世の友達と再会をする。その前世の友達は、愛子のことをテレビで見たことがあったので「見たことある人だ」と思っていたという。愛子は全くの初対面だったが、すごくときめきを覚えて仲良くなりたいと思っていた。これはきっと潜在意識で懐かしさを感じていて、ときめいたことだったのだと思う。

 この会社では約1年働いた。元々電車通勤が苦手で、早く自由になりたいと思っていた。1年くらいした時に、会社の移転のために関西方面に引っ越しをするか、退職するかどちらかを選んでほしいと言われる。その会社は当時1拠点しかないために、引っ越しを強いられてしまうような移転だったのであった。この話を聞いた時に、「ああ、これは辞めるタイミングなんだな」と直感的に思ったという。この頃愛子はまだパラレルセルフや宇宙のことはそこまで詳しくなく、だが何か愛子に対して大きな力が働いていることは感じられていたのである。自然と退職する方を愛子は選んだ。退職をして、意識レベルが2上がり、意識レベルは542となった。

 会社員を辞める少し前に今の愛子のレギュラー作品であるキューブの作品をつくり始めたタイミングであった。作品をつくった後に、全く予想外の形で取引先が決まったのである。これで愛子は、手放したらきちんと新しいものが入ってくるということを確信できた。何か大きな力が、愛子がアーティストとして生きて行くことを応援してくれているように感じた。

 そして次の秋から色んな百貨店で置いてもらえることになった。昔から、街中のお店に自分の作品が置いてあったらいいなと思っていたので、思いがけずその夢が叶ったのである。会社員を辞めた後は解放感があり、どんどん元気になっていった。本当の安心感を少しずつ手に入れていく感覚になっていった。

 会社員は毎月安定したお給料が入ってくるが、愛子の場合はそれは偽物の安心であると思っていた。自分と繋がって本当にやりたいことをして生きていける日々を送れることこそが、愛子にとって自信へと繋がり、安心感を得られたのであった。この時愛子は23歳であったのだが、このままでいいのだろうかという不安や恐れももちろん持っていた。だが、心の中には、この道が一番ベストであるという確信があった。

 この頃愛子は会社員時代に出会った前世の友人の紹介で花屋のバイトをし始める。この前世の友人の紹介ということがバイトをするきっかけの大きな要因であった。愛子は毎日たくさんの種類の花や植物と触れて、色彩感覚がどんどん洗練されていった。この花屋では半年でバイトを辞めることとなる。この働く期間についても宇宙で計画を立ててきていたことであった。(続く)

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