人生は意識レベルでできている(3)

生澤愛子との生活

 中学2年生10月、意識レベルが100台となる。あまり上がった感じもせず、テストで初めて30点台の点数を取ってしまったのである。これまでは努力すればそれなりに結果が出ていたのだが、これまでと変わらず真面目に勉強をしていたにもかかわらず、この点数を取ったのである。何が愛子の身に起きているのか分からずに困惑していた。授業を受けているだけになってしまっており、出席していても授業の内容が全然入ってこない状態となった。恐らく小学生のころの意識レベルの貯金が無くなってしまったのだろう。

 このタイミングで運動もできなくなってしまう。それまではクラスの女子の中で一番足が速かったのだが、1秒くらい遅くなり、平均くらいの速さになってしまった。すごく内向的になってしまって、人が怖くなってしまっていた。愛子はこの当時、「本当のわたしはこんなんじゃないのに」と困惑していた。その頃に不眠症が始まり、夜中の3時頃まで眠れなくなってしまう。担任の先生にテストの点数が下がったことを「こんなこともあるよね」と理解してもらえず、これもまた愛子が心を閉ざしていく要因の1つとなっていった。親にはテストの点数が落ちたことをめちゃくちゃ怒られて、半強制的に塾に入れられた。教室が綺麗だからという理由で早稲田アカデミーを愛子は選んだ。この頃から綺麗な空間が好きだったようだ。

 続いて11月に190まで意識レベルが上がる。ここで愛子は英語のテストの点数で20点台を取ってしまう。塾に入って勉強もして、努力は続けていたのだ。塾も、小学生くらいまでの頃であれば一番上のクラスに入っていたはずであるが、中学のこの時期に入った塾では一番下のクラスに入れられた。ちなみに、このあたりで愛子は美術の時間に以前のような納得のいく絵や作品がつくれなくなっていた。美術の成績も今までは一番良いものしか取ったことがなかったのに、この時期に初めて4をもらう。

 中学2年生の12月に意識レベルが195となる。この頃に1度成績が上がるタイミングがあった。塾の先生も驚いていたくらい、成績が伸びたのである。ここから愛子は意識レベルが中学3年生の7月まで195を維持するのだが、成績も同じく、平行線を辿ることとなる。

 中学3年生の8月に意識レベルが220となる。意識レベル200台を突破したのである。集中力が戻ってきて、塾に毎日こもって勉強をしていた。9月には230台、10月には280台と順調に意識レベルが上がると同時に、成績も急激に伸びたのである。塾のクラスも異例の飛び級をするくらいであった。数学の偏差値が65前後、それ以外の4科目は偏差値が70前後となる。同じ努力しかしていないのに、なぜこんなに急激に成績が伸びたのか愛子自身も分からなかった。また困惑していた。この頃も本当のわたしはこんなんじゃないのにと心で叫んでいたのである。いつか何かで大きな成果を出してやると腸が煮えくり返るような気持ちで日々過ごしていた。 

 余談だが、この当時愛子は、最高の偏差値は5教科で74であった。模試の結果や学校の試験、通知表の内申点などを全て実態よりも低い結果を受け取っていた。それは、パラレルセルフによってわざと低い数値が出されていたのであった。愛子は生まれる前に、今世では大学に行く必要がないと思っており、大学に行かないことを決めてきていた。もし第一志望校の高校に進学すると、周りの同級生たちの影響を受けて大学進学をしてしまう可能性が上がってしまう。そのため、第一志望校への期待を持たせないようにするためにパラレルセルフによって偏差値や数値の操作がされていたのであった。

 中学3年生の11月、意識レベルが310となる。成績も同じくらいを前後していて、心が満たされることはなかったが、意識レベル12の中学1年生の7月のころと比べるとずっと生きやすかった。12月も340と徐々に徐々に意識レベルが上っていくが、常に不安を感じているような感覚だった。ここで愛子は学校の帰り道で急に、人間は安心感がないと、最大の成果を発揮できないということを悟る。

 愛子の場合は違ったが、わたしの所感では意識レベルが300台の人は宗教や怪しいスピリチュアルにハマりがちだと思う。300台は安心感を得るためになにかにすがらないと生きていけないのだと思う。ちなみにわたしは高校生の頃意識レベルが300台であったのだが、クリスチャンのクラスメイトと仲良くなり、教会に出入りするようになる(両親にはとうとう頭がおかしくなったと本当に心配されていた)。大学に入ったタイミングでキリスト教に入信するのだが、大学に入ってわたしは意識レベルが400台となり、入信して早々に教会にいかなくなる。真面目なキリスト教徒の方からするとふざけたヤツと思われていたかもしれない。

 意識レベルが400台になると、理性のレベルとなり、自分の力で生きていこうとし始める。意識レベル400台は一見するとカリスマ性があるのだ。努力で成り上がろうとし、実際に結果も出ているため、多くの人が惹かれて集まってくる。意識レベル400台も不安であることには変わりないので、人が集まってくることで安心感を得ようとするのである。厄介なことにロジカルな部分を持ち合わせているので、理解できる範囲を越えた人のことを徹底的に攻撃することがある。頭が切れる分、面倒なのである。(続く)

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