人生は意識レベルでできている(1)

生澤愛子との生活

 わたしは最近毎日のようにブログを更新している。しかも有休を取ってまでブログに専念している。さらには、愛子がフルコミットで手伝ってくれており、休日は朝の9時から深夜0時くらいまで、平日は仕事が終わってから21時前後から深夜23時くらいまで、愛子はブログの内容を提供し続けてくれている。なんならご飯のお世話までしてくれている。わたしは平日は残業もあるため、1分でも早くブログに着手できるように全てのリソースを使ってわたしのブログ執筆を手伝っているのである。メンタルモデルが一人ぼっちモデルの愛子がここまで関わってくれているのである。ただごとではない。

 愛子が愛子の友人に、このことを話したところ、「ストイックすぎる」と驚いていたそうだ。そりゃそうだ。わたしが頑張るべきところ、愛子がめちゃくちゃ頑張っているのである。この世界中で愛子が一番わたしのブログ執筆の進捗を心配していると言っても過言ではない。

  以前ブログにわたしは宇宙ポイントをチームメンバーから借金していると書いたことがあるが、ブログを更新し続けることで借金返済に繋がるらしい。今平均してブログ1本あたり地球上の現金に換算すると約15万円であるようだ。気が狂ってると思われももう気にしていない。引き続き、借金返済のためにブログに専念していこう。

 『パワーか、フォースか(※)』は人間の意識を可視化することを可能にした画期的な本であると思っている。目に見えない領域を、このように測定することができるのは面白い世の中になってきたものである。愛子は、意識レベルが12(通常は死んでしまうレベルの階層)から上限の1000(今の地球上で最も高い意識レベルの上限)まで全ての階層を経験した人類初の魂である。今日はこの意識レベルのそれぞれの階層を、わたしや愛子がそのレベルを体験した所感を元により詳しく見ていきたい。

 愛子の意識レベルの遍歴に合わせてそれぞれの階層を見ていこう。まず幼稚園児のころ880〜980の階層にいた。幼稚園入園時に980、卒園時に880という流れでこの階層を経験する。このころ愛子は幼稚園の園舎に閉じ込められる感覚が苦手であった。時間の流れが非常に遅く感じ、「早く帰りたいな」と毎日のように思っていた。

 続いて愛子は小学生の時に670〜870の意識レベルにいた。入学時には870、卒業する時に670と推移していく。入学時に愛子は肉がほとんど食べられず、先生に全部残さず食べるように言われて居残りを頻繁にしていた。だがどうしても食べる気になれず、先生の目を盗んでは隠して捨てたり、持って帰ったりして凌いでいた。小学3〜4年くらいのときにようやく食べられるようになる。意識レベルが徐々に下がっていったからかもしれない。

 愛子は小学生の時は勉強も運動も芸術も、そこまで辛い努力をしなくても、人並みの努力で人並み以上の成績を出せていた。この意識レベルにいるときには不安や恐れを起点とした行動を取ることはあまりなく、毎日穏やかな生活を送ることが出来ていた。だがそれでも、このころ愛子はずっと「自分だけ何かが違う」という孤独を抱えていた。これは専門学校へ行き、意識レベルが500に戻ってからようやく自分だけが違うことの理由に気付き始めたのであった。

 それから、皆が植物のことを好きという感覚と、愛子が植物を好きという感覚は異なる感覚であると愛子は気がついていた。この感覚の違いに何かしらの秘密があるはずだと思っていたものの、この秘密に気づいてしまうともっと孤独になりそうな気がして、気付かないように生きていた。大人になってから愛子はそもそもこの銀河の出身ではないこと、この銀河には留学生のような形で来ていること、カリブール星で植物をつくっていたことなどが分かったのである。このころは理由も分からず、孤独のみ感じられていた。

 そこから小学校卒業後、中学校に入学した時に、600台から一気に400台へと下がる。4月に入って、急に意識レベルが落ち、理由もわからず悲しい思いをしていた。当時は意識レベルについての知識もないので、何が自分に起きているのか分からなかった。入学した4月から7月までの間に1ヶ月毎に意識レベルが100ずつ落ちていく。自分のことを表現することが怖くなっていき、意識レベルが落ちる毎に内向的になっていく。自分が知っている自分がどんどんいなくなっていく感じに、愛子自身も戸惑っていた。(続く)

 

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