メディアへの進出

生澤愛子との生活

 今回は、愛子がどのようにメディアへ出ていったのかについて遍歴を追っていきたい。愛子が高校3年生のときにTwitter経由で起業をしたい学生向けの起業家スーパーキャリアカンファレンスというイベントに参加をした。その当時、愛子はお小遣いはもらっておらず、お年玉を削って交通費を出し、参加をしたという。なぜだかわからないが、今行くべきだと直感していたらしい。起業に向けて動いている学生たちと触れることで、愛子はこういう道もあるんだと気付きを得たそうだ。ホリエモンさんもそのイベントに相談役として出ており、愛子は四つ葉のクローバーでどのようにマネタイズしていけば良いのか相談をしたという。優しく真剣に答えてくださったのが印象に残っているのだとか。

 そのイベントに参加して、愛子は当時周囲から刺激を受けたという。高校卒業後、専門学生になってからもう一度そのイベントに参加した。すると、こんなイベントがあるのですが出てみませんかと声をかけてくれた人がいた。そのイベントは、夢AWARDというイベントであった。とりあえず出てみるかと思い応募してみたところ、一次選考、二次選考、三次選考と思いがけずトントン拍子で進んでいったのである。

 2015年2月、最終選考に残ったファイナリスト達の愛子を含めた7名は武道館で約8000人の大勢の前で夢を語ることとなった。愛子は四つ葉のクローバーと生きていく夢を語る。他のファイナリストは愛子と1名の大学院生以外は全員が社会人であった。惜しくも優勝は逃すものの、最終選考の場で愛子の夢を応援したいと言ってくれる企業が現れ、一緒に仕事をすることになる。

 この仕事が結構な労力を要する仕事だったようで、仕事を獲得してから愛子は1000本もの四つ葉のクローバーを探し出し、しおり作成をしたという。それが愛子の人生にとって一番最初の大きい仕事を得られた経験となる。

 そしてその夢AWARDの選考の最中、愛子はまた別のイベントの選考を受けていた。夢AWARDは社会人も多く応募をしていたので、学生版の夢AWARDというイベントにも声をかけられた。これは夢AWARDの選考中の人のみが対象となるイベントで、わたしの推測だと社会人も多いイベントだと学生が不利であるために、光る原石のような人を拾い上げるためのイベントだったのではないかと思う。

 こちらはエントリーするとすぐに最終選考の場となるイベントであった。200名くらいが集まり、参加者1人1人が投票権を持つ会場投票で優勝が決まる。5名のうち、愛子ともう1名が同じ票数を獲得し同率1位となったのである。実はこの学生版夢AWARDのプロデューサーの知人でテレビ局に勤務している人がいたようで、愛子の噂を聞きつけてテレビ出演が決まっていったのであった。

 愛子が初めてテレビ出演をしたのは18歳のとき。関西ローカル番組の”ちちんぷいぷい”というテレビ番組に初めて出た。初めての出演をきっかけに、それから2〜3ヶ月に1回位の頻度でテレビや新聞やラジオからの取材を受けることとなった。このきっかけから話が大きくなり、ついにはキー局の番組にも出られるようになる。愛子の天性の才能が広く世に知られるきっかけとなるのである。

 前のブログでも書いたが、愛子は小学生のころはテレビへの純粋な憧れも相まって、四つ葉のクローバーが探せることで将来テレビにいっぱい出られるのではないかと思っていたそうだ。高校生のころには学校の授業をサボって四つ葉探しをしてから登校するということもあったという。授業を受けているよりも四つ葉を探していたほうが役に立つと思っていたのだとか。四つ

葉を摘みながら、「今に見てろよ」と野心を燃やしていたという。だが周りはそんな愛子の思惑には気が付かず、学校を遅刻してくるのも体調不良だと信じてやまなかったのだ。

 メディアに出て少し経ったころ、喉に尋常じゃない痛みを感じて扁桃腺の手術をした。当時は毎週のように撮影や取材を受けていたのだが、体調が悪くなったタイミングでピタリと取材のオファーがなくなったという。愛子はこの時を振り返り、やはり大きな力は必ず働いていると確信をしたそうだ。そしてまた体調が復活したころにメディア出演のオファーも同時に復活したという。愛子と時間をともに過ごす中で、愛子のパラレルセルフは的確な行動を起こせる人だという印象を持っている。わたしの前世であるアニタはジョージアに対して、生涯宇宙から愛されていたというような内容を伝記に記しているが、わたしも今愛子を見ていてそのように感じる。愛子ほどに、宇宙から愛されて深く繋がっている人をわたしはこれまでの人生で見たことがない。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました