アイキャッチの画像を選んでいて、わたしは今癒やされたいのかもしれないと思った。自然がいっぱいの風景画像や、キラキラしている石がいっぱい写っている画像に癒やされながら今タイピングをしている。地球は遠い昔、こんな星ではなかったのに…もっとずっと美しくて自然と調和して生きていたのに……と悲しい気持ちになってしまった。
さっきまでセーラームーンを見ていたが、やはり「確かに、こういうことが本当に過去に起こっているかも」と思ってしまうことばかりであった。月には王国があり、地球が闇側に染まってしまって月に侵略するようになったという話であった。少しばかり遠い話のような気もするのでわたしの知る世界線の話ではないのかもしれないが、実際今の地球も闇側に支配されてきているのであるし、ない話ではない気がしている。
わたしはこの世界で、わたしの友人が一番宇宙からのサポートを受け取っているのではないかと思っている。『パワーか、フォースか(※)』の本には意識レベルにより、人生で体験できることが変わってくるというような内容が紹介をされている。だが、実は意識レベルが高ければ高いほどこの世界で生きていくにあたり、宇宙からのサポートが届きやすくなるというのが真実である。
わたしの友人は、意識レベルが今の地球の上限MAXである1000に到達している。彼女の周りに起こることはミラクルばかりである。本当に、宇宙の力はあるんだなと彼女を見ていると信じられるほどにはミラクルだらけなのである。彼女と話していると地球外の世界について確信が持てる。彼女の持つエネルギーはわたしが今まで出会ってきた誰よりも細かい振動のような周波数を放っていて、繊細だがそれでいて力強い。ちなみにわたしは霊感は持っていないので、あくまでも感覚の話である。
キネシオロジーテストでテストしたことによれば、意識レベル500以上になってくるとようやく宇宙からのサポートが得られるようになるらしい。逆を言えば、意識レベル500未満であれば100%全て自分の意思と判断で物事を動かしていくことになるので、自分と繋がるということがどれだけ大切なことであるかをより分かってもらえるだろう。これは意識レベル500以上だから良い、500未満だと悪いということを言いたいのではない。意識レベルは良い悪いを判断するものではなくて、自身が今どの立ち位置にいるのか、位置情報を確認するための地図のようなものだと捉えたら十分だと思う。
デヴィッド・R・ホーキンズ氏が書いている本では、意識レベル200を1つの臨界点としており、意識レベル200未満をフォース、意識レベル200以上をパワーと説明している。「フォース」は物理的な力という意味であるので、武力的な強さ(暴力など)を表しているのだろう。意識レベル200以上は「パワー」としており、パワーは内側から溢れる能力や力のことを指しているように思う。本書では意識レベル200を重要な指標としており、意識レベル200以上あれば人生がより良い方向へ進むというような内容が説かれている。だが、意識レベル200未満か意識レベル200以上かという観点は宇宙の観点から見るとどちらもあまり大差がない状態なのである。
実は、意識レベル500こそ、宇宙の観点からすると大きな臨界点である。前のブログでも書いた通り、アミ小さな宇宙人で言われている「愛の度数700以上」というのはこのデヴィッド・R・ホーキンズ氏の言う意識レベル500と同等の値である。
宇宙は愛の世界なので、意識レベル500に到達するとようやく宇宙の世界では光側としてスタート地点に立てたことになる。この意識レベル500を目指すことは、宇宙にいて目指すよりもこの地球上で目指したほうが達成しやすい。もちろん、どちらも時間がかかる難しいプロセスではあるのだが、この地球上でのほうが宇宙より少しばかり達成しやすいのである。地球は肉体などの制限が多いからこそ、その分ハンデ分で点を稼ぎやすいというイメージである。
ただしこの意識レベル、人生でなんと3〜5ポイント程度しか上がらないというのだ。上げるのは難しいのに、下げることは簡単というのは地球にも適応される。幼稚園生や小学校低学年など、よりピュアに近い状態のときには500以上の意識レベルを持っていた人が、事故や怪我などの何かしらの理由で現在は意識レベルが200を切ってしまっている、という事例もある。一度大きく落ちてしまった意識レベルをまた上げていくということは、本人がなにか気づきを得られるような衝撃の強い出来事(臨死体験など)が起こらない限り難しいことのように思える。
今の地球では、この意識レベルの上昇が科学などのテクノロジーの向上と比例していないという極めて危険な状態である。本来であればもっと愛の意識で生きる意識レベル500以上の人の割合が多い予定であったが、そこに追いついていない。そのため、意識レベル500未満の魂が地球から退場させられる可能性があるのである。わたしは一刻も早くこの『パワーか、フォースか』の本を読む人が増えてほしい。誰が読んでも気付きの多い本だと思っている。多くの図書館で置いてあると思うので、ぜひ読んでみてほしい。
(※)参考文献・出典
デヴィッド・R・ホーキンズ(エハン・デラヴィ&愛知ソニア訳)(2018年)、『パワーか、フォースか』、ナチュラルスピリット
コメント