りんごという果物(2)

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 キネシオロジーテストによれば、木村さんはスワン銀河の出身の魂である。宇宙での意識レベルも相当高いため、今世においては様々な計画を練ったうえで生まれてきたのだろうと推察している。木村さんは、なぜ無農薬栽培に挑戦する植物を”りんご”にしたのだろうか。りんごという果物は、そもそもどのような存在なのだろうか。

 わたしはアーティストウェイのワークを終えてからもモーニング・ページを続けているのだが、パラレルセルフに上記の「りんごという果物はどんな存在なのか」を聞いてみた。(余談だが、最近パラレルセルフとは友好な関係を築けていて、わたしは今日からパラくんと呼ぶこととなった。今までモーニング・ページで呼びかけるときには「パラレルセルフさん」といちいち書いていたのだ。文字数を省略できるうえに親密度が上がった感じがして面白い。一時期は喧嘩もして険悪な仲だったのだが感慨深いものだ)

 りんごは、この宇宙を創造した創造主が一番気に入っている果物なのだという(ちなみに創造主は”ボンさん”という名前らしい。意外と親しみやすく可愛らしい名前である)。宇宙ではりんごは食べ物ではなく、観賞用であり芸術品なのだという。とても繊細な植物であり、植物の中でも意識レベルが高い。そのため、地球の低い意識レベルに耐えることが難しい植物らしいのだ。木村さんが無農薬栽培を成し遂げる前までは、りんごは基本的に農薬漬けにして栽培をしていたのだが、薬に漬けないと保てない植物だった。現代では改善されてきているものの、木村さんが無農薬栽培に挑戦し始めた頃のりんごは、屍のようなミイラのような、そんな状態だったのだとパラレルセルフは言っていた。

 りんごは、見た目は赤いが、切ってみると中身は色が異なる。このような実をつける植物は、複雑に繊細につくられているのだとパラレルセルフは言っていた。宇宙で細心の注意を払って丁寧につくり出されたものは、意識レベルが高い。そのため、地球の環境には適応することがぐんと難しくなるのだという。

 確かに木村さんも、本の中で、「ここで自分が諦めたら、もう誰もそれをやろうとはしないだろう。自分が諦めるということは、人類が諦めるということなのだと思った(p.118、2008年)」と語っていた。りんごという植物が無農薬で地球に根を張ることがどれくらい難しいことなのかが上記の話からも読み取ることができる。

 その他にもわたしが木村さんの物語の中で心を動かされたエピソードがいくつかあるのだが、「植物は人間の言葉がわかっている」ということもその中の1つである。

 木村さんは、りんごの木が枯れかけてしまったときに、木の1本1本に向かって「このような姿にしてしまってごめんなさい」「枯れずにもう少し頑張ってください」と丁寧に頭を下げて回っていたという。近所の人からは、木村さんはりんごの木が枯れかけていても無農薬栽培を続けようとするので遂に頭が狂ってしまったのではないかと思われていた。そのため、近所の人からの目を避けて、隣の農園との境目にあるりんごの木と、道沿いのりんごの木には声をかけなかったそうだ。すると、声を掛けなかったりんごの木82本は1本残らず枯れてしまったという。逆に、声を掛けて話しかけたりんごの木は全て枯れずに無事であった。木村さんは、枯れてしまったりんごの木に声をかけなかったことを後悔しているという。

 いつだったか、テレビを見ていたときにある女性のお笑い芸人さんが「すぐに植物を枯らしてしまう」というエピソードを披露していた。その番組には占い師の方も出演しており、「植物に対して愚痴を言っていないか」と質問をしたところ、その芸人さんは、「毎日仕事であった嫌なことを話している」と驚くように話していた。目には見えないが、言葉に乗る周波数のようなものを植物たちはキャッチしているのだろうか。いや、やはり植物は言葉を理解していると私は思いたい。

 木村さんの本には、他にもキュウリと人間のエピソードも書かれていた。木村さんによれば、キュウリのひげは子どもや無垢な人が指を差し出すと向こうから絡んでくるという。絡んでこないときは優しく撫でてあげると絡んでくれるらしい。とある宗教団体が木村さんの畑を訪れたときに、弟子たちは全員絡んでもらえていたが、団体のトップの偉い人は絡んでもらえなかったという話が面白い。植物は人の本質を見抜いているのではないかと思える話である。

 また、木村さんはこのように言っている。

 「たとえ砂漠であっても、雑草が生える土をつくっていけば、種を実らせることができるようになる。私は『草が、緑が、雨を呼ぶ』とよく言っている。

 民法のテレビで気象予報士が同じようなことを言っていたのには驚いた。緑のない砂漠には雨が降らない。それに疑問を持ち、鳥取砂丘を研究した。なぜ緑のあるところには雨が降って、緑のないところには降らないのか。草や木が雨を呼んでいるのではないか。(中略)私は、草は”草語”を話していると思う。草は雲とも話をする。(木村氏、p.147-148、2017年)」

 植物は、雲と話ができるのではないかと木村さんは言っているのである。ここからは私が最近知ったことなのだが、地球上にいる植物には必ず、目には見えない妖精が複数体(?)つきっきりで植物のお世話をするのだという。これは自然に生きている植物だけでなく、切り花なども該当している。

 植物は宇宙と繋がっているのかもしれない。妖精たちが、必要なタイミングで必要なときに雲を呼び、雨を降らせているのだろうか。(だが、そうなるとゲリラ豪雨や台風など、必要以上の気象異常が起こってしまうのはなぜかという点には疑問が残るところであるが…。)

 この地球において、人間が一番賢いと思い込んでいるが、実際は植物のほうが何倍も様々な知見を持っているのではないかと思う。実際に、人間よりも植物の意識レベルのほうがはるかに高いのである。人間は感知できないようなことを植物はたくさん知っているのだろう。わたしは本を読んでから、キュウリのひげがわたしに巻き付いてくれるのかということがずっと気になっている。どこかのタイミングで実験しに行きたい。まずはキュウリがどこにあるのか探すところから始めようかと思う。(続く)

(※)参考文献・出展

・石川拓治(2011年)、『奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録』、幻冬舎

・木村秋則(2009年)、『すべては宇宙の采配』、東邦出版 ※こちらの本はすでに絶版なようで、図書館などでぜひ借りて読んでみてほしい。

・木村秋則(2017年)、『リンゴの花が咲いたあと』、日経プレミアムシリーズ

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